CAR

第5章 ロングノーズに直6搭載の「Z」登場で始まった、新世代ニッサンスポーツ

日産を代表するスポーツカー「フェアレディ」の名を冠したモデルは、1960年1月に初めて登場するダットサンSPL211型で当初、米国向け輸出専用車だった。その後のSR311へと続くオープンスポーツであるフェアレディは、つねに北米マーケットを見据えたクルマづくりだった。

 ところが、70年代に向けてフェアレディは、大きく変貌する。2座クローズドクーペS30型「Fairlady Z」、米国で「Z-Car」の愛称で親しまれたスポーツカーの登場である。Z Carは当時の米国日産・社長の片山豊と松尾良彦らデザインチームの一部が企画し、欧州製スポーツカーに負けないモデルを送り出すことを目標に開発した。出来上がったのが、1969年11月発表の米国名「DATSUN 240Z」、日本で「フェアレディZ」と呼んだスポーツカーだ。

 ニッサンスポーツを代表するフェアレディは、それまでのスパルタンともいえる硬派なオープン2座スポーツから、クローズドルーフの快適な居住空間や安全性を詰め込んだ華麗なスタイルのGT「フェアレディZ」に変身した。それは米国の安全基準や排気ガス規制、新しい時代のユーザーニーズに応えた新しいモデルの登場だった。

 名称は開発記号に使っていた[Z](マルZ)をそのまま使って国内向けには、2リッター直列6気筒のL20型エンジンを搭載し「Fairlady Z」とし、米国向けには2.4リッター版のL24型エンジンを積んで「DATSUN 240Z」(Datsun Two-Forty-Zee)とした。

 米国のファンから「Father of Z-Car」と後に呼ばれる「Z」の開発を主導した片山は、自らの著書「Zカー」(光文社刊)のなかで、

「開発中の1960年代後半のアメリカでは、私たちが望んでいたような快適で安全かつ性能もよく、パワーのあるスポーツカーが欲しいというニーズがどんどん高まっていた。性能がよいスポーツカーでありながら、価格はおさえるというコンセプトを実現すれば売れる、という強い思いがあった。──中略──でも、本社にはそうした積極的な気持ちも姿勢もありませんでした」と述懐している。そして、1965年ころから本社の説得に入る。

 完成した新型「Z」のエクステリアは、スポーツカーの典型であるロングノーズ&ショートデッキの流麗な2シーター・ファストバッククーペだ。そのボディサイズは全長×全幅×全高4115×1630×1290mm、ホイールベース2305mm。車両重量975kg。基本的に日本の5ナンバー車である小型車枠に収まる。現在の水準からすると極めてコンパクトな2座クーペだ。

 搭載したエンジンは、前記のとおり日産上級セダンのセドリック&グロリアから移植した直列6気筒SOHCのL20型。ボア×ストローク78.0×69.7mmの1998ccのキャパシティから、最高出力130ps/6000rpm、最大トルク17.5kg.m/4400rpmを発揮した。

 米国向けの専用モデル「240Z」に搭載のL24型は2393cc直列6気筒OHC+ツインキャブレターを得て150psと21.0kg.mを発揮した。そのL24型エンジン搭載の240ZGは、1971年10月から国内でも販売された。240ZGはGノーズやオーバーフェンダーで差別化されて、これも人気が沸騰する。

 ボディ構造は生産性の良さとともに剛性の高いモノコックとした。前後とも特徴的なストラット式の四輪独立懸架サスペンションとしながらも、他の日産車から流用できる走行メカニズムは積極的に使って、車両コストを低減した。当初の生産規模は月産2000台で、うち国内が500台、残る1500台が北米に輸出された。結果、S30型「Z-Car」は、北米で大ヒット作となる。

 「Z」にはその2台とは別モノの特別な国内専用モデルが存在した。先にスカイラインGT-Rに搭載され、スポーツカーファンを驚愕させたレーシングユニットの直系、S20型エンジンを搭載した「Z 432」だ。

 1989cc・直列6気筒DOHC24バルブ、最高出力160ps/7000rpm、最大トルク18.0kg.m/5600rpmとされたレーシングユニット並みにチューンした本格派DOHCエンジンを搭載。トランスミッションはポルシェシンクロの5速マニュアルフロアシフトを組み合わせ、Zを最高速度210km/h、0-400m加速15.8秒へ導いた。しかも、Z432は北米には輸出されず、日本のユーザーだけが受け取れる、特別なスポーツカーだった。

 フェアレディZ432の名称は、このパワーユニットのメカニズムに由来する。つまり、直列6気筒で気筒当たりの吸排気バルブ数が2+2の「4」、燃料を供給するミクニ・ソレックスキャブレターを3連装した「3」、そしてDOHCのふたつのダブルカムシャフトの「2」と、ある意味で暗号めいた独創的なネーミングだったといえる。Z432は4年間で僅かに419台だけが生産されたと記録に残る。その一部はボディパネルをFRPに換えたレース専用モデルのフェアレディZ432Rである。

 モータースポーツ参戦のために開発されたZ432は、同時代のスカイラインGT-Rと共に稀有で貴重な存在だった。が、レースの現場では、日産系Zの四輪ストラットのシャーシと駆動系がプリンス系S20型ユニットと相性が良くなかったらしく、GT-Rに比べるとサーキットを走った期間は短く、北米への輸出モデルだった後継の240Zに活躍の場を譲る。

 人気を誇ったZ Carだったが、70年代に入ってからのアメリカ西海岸の深刻な大気汚染問題に端を発する排気ガス規制とオイルショックが、S30型にも大きな影響を与える。1973年にはZ432と240Zがカタログから消え、74年にはホイールベースを延長した「2+2」を含めてL20型搭載車だけとなる。1975年に燃料供給システムをキャブレターから電子制御燃料噴射装置であるEGIに換装して排気ガス規制をクリアするも、1978年にS30型は使命を終え、次期型のS130系にスイッチする。

 以後、「フェアレディZ」は、ニッサンスポーツの旗艦として代を重ね、2019年に誕生50年を迎えた。セドリックやブルーバードが消え去った今、フェアレディは数ある日産ブランドのなかで、唯一その祖の名を継承するスポーツモデルなのである。

 スカイラインも、というファンも多いが、あの名車はプリンス自動車が生んだスポーツセダンなのだ。

フェアレディ 240Z

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