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第3章 P310型と初代「シルビア」ピニンファリーナの「青い鳥」

1959年、3ケタ型式番号のダットサンセダンP210型に進化した車両をベースに、その後の“日産スポーツ”を牽引するフェアレディの祖であるS211型ダットサンスポーツが誕生した。そのクルマは1960年に大幅に手が入れられ、SPL212型となり、初めてフェアレディを名乗った。

 同じ1959年、革新的なP210型の発展形、310型が登場する。初代ダットサン・ブルーバードの誕生だ。310型の開発計画は、3ケタ型番初代の110型発表の直後に始まったという。1955年に試作車の概要を決めて、前輪独立懸架式の製作を試みる。

■戦前からのダットサンとの訣別 310型ブルーバード

 完成したのはトラックと共通のラダーフレームを使った従来のダットサンセダンと訣別したクルマだった。前輪ウイッシュボーンコイルの独立懸架サスペンションを採用し、初めから米国へ輸出する計画で開発され、高速性能と追い越し加速性能を上げるため、当初の988ccエンジンと、それを拡大した1189ccを新設して搭載した。

 310型「ブルーバード1200」の概要は以下のとおりだ。ボディ寸法は全長×全幅×全高3860×1496×1480mm、ホイールベースは2280mm。重量860kg、乗車定員4名。サスペンションは前記のとおり、前ウイッシュボーンコイル独立懸架式、後リーフスプリングによるリジッド式で、ブレーキは前後ドラムだが前輪はユニサーボ型としていた。

 搭載エンジンはボア×ストローク73.0×71.0mm、1189cc直列4気筒OHVで最高出力55ps/4800rpm、最大トルク8.8kg.m/3600rpm。2&3速にシンクロメッシュが付いた3速マニュアルミッションを組み合わせて、最高速度は115km/hとされた。

 1960年に310型に「エステートワゴン1200」、WP310型が追加され、同時に米国への輸出も始まった。翌1961年にマイナーチェンジを受け、パワーアップとミッションのフルシンクロ化が図られ、“柿の種”と揶揄されたテールランプ形状が大型の意匠に変更された。

 このクルマから前項で詳報した、2代目となるオープンスポーツのダットサン・フェアレディ1500(SP310型)、そして発展型フェアレディ1600(SP311型)が生まれるのだ。

■スポーツクーペ「シルビア」の誕生

 そして1964年、SP310型から派生するダットサン・クーペ1500プロトタイプが東京モーターショーで発表される。市販車は1965年に1.6リッターエンジンを搭載してデビューする。つまり、P310型をベースにつくった初代シルビアである。

 破格に美しいクーペ、初代「日産シルビア」CSP311型は、東京オリンピック開幕直前、1964年9月の第11回東京モーターショーで、ダットサン1500クーペのコンセプトモデルとしてワールドプレミアされ、翌1965年4月に発売した2座スポーツクーペだ。アルファロメオなどのコンパクトな欧州製高級GTを手本に開発し、シャシーフレームは同社のオープンスポーツであるフェアレディ用を使った。つまり、310型ブルーバードからの流用だ。エンジンはその310型の後継、P410型ブルーバードSSSから移植したR型だ。

 手作りに近い内外装を作り込みは、日産車のなかでも群を抜いた仕上がりだった。エクステリアは高性能FRスポーツの典型である“ロングノーズ・ショートデッキ”をコンパクトなボディで見事に実現していた。デザインはBMW507など手がけたことで知られるドイツ人デザイナーのアルブレヒト・フォン・ゲルツ氏の助言を得て日産社内で行なったとされている。「シルビア」とはギリシア神話に由来する“清楚な淑女”の意味だ。

 ボディサイズは、全長×全幅×全高3985×1510×1275mm、ホイールベースは2280mm。このコンパクトなサイズは、現行でもっとも小さな日産車、マーチの全長×全幅×全高3825×1665×1515mm、ホイールベース2450mmと較べると分かりやすい。シルビアは、1600ccの4気筒エンジンを縦置きに搭載するために長いフロントノーズが与えられたため、全長はマーチよりも僅かに長いが、圧倒的に細くて低い。

 ブルーバードSSSから移植した搭載エンジンは、1.6リッター直列4気筒OHV。SUツインキャブレターとデュアルエキゾーストを得て、最高出力90ps/6000rpm、最大トルク13.5kg.m/4000rpmを発揮した。車重980kgのシルビアにとって十分以上のパワーユニットといえた。組み合わせるトランスミッションは国産車初のフルシンクロメッシュ4速フロアシフト。サスペンション形式は310型と同じリア側がリーフリジッド、フロント側がウィッシュボーン独立式、フロントブレーキにはディスクブレーキを装着。グローバルでみても当時としてトップクラスのスペックを持った本格FRスポーツとなった。カタログ記載の最高時速165km/hとなっていた。

 日産技術陣は開発にあたり、当時として最先端の性能を詰め込み、各部の作り込みにも妥協を許さなかった。結果、生産工程は複雑となり、大卒初任給が2万4000円、同社のブルーバード・デラックスが64万円、フェアレディ1500(SP310型)が88万円の時代に、120万円という高価なクルマとして発売された。そのため、CSP311型シルビアは、デビューから3年間で僅かに554台生産されただけのレアなクルマとなった。

 つまり、初代シルビアは商業的には完全な失敗作だったわけだ。まだ日産サニーも登場していない1960年代に、この贅を尽くしたクーペの価値を理解して、国産車に大枚120万円を支払い、オーナーとなった人は、ほんのひと握りしかいなかった。加えて、そうした経済力に恵まれた人々は、敢えて日本車を所有する必要が無かった時代でもあった。シルビアは短いモデル生命を終えて絶版車となる

 その後、シルビアはトヨタ・セリカのヒットを睨んで1975年に復活するも不振。シルビア人気はバブル経済絶頂期の1988年に登場するS13型「アートフォース・シルビア」まで待つことになる。

■ピニンファリーナの「青い鳥」、P410型登場 そしてSSS

 1963年9月にデビューした2代目ダットサン・ブルーバード410系についても触れておく。伊ピニンファリーナに依頼したとされるデザインを纏ったボディは完全なモノコック構造となったが、エンジンおよびサスペンションなどは310型を踏襲。

 1600ccのスポーティバージョン「SSS」を追加するなどしたが、独特な尻下がりのデザインに賛否があり、1964年にRT40型として大胆にモデルチェンジして颯爽と登場したライバル、トヨペット・コロナにトップセラーの座を奪われる。そのため、日産開発陣は次期ブルーバードの開発に並々ならぬ力を注ぎ、ベストセラーカーの称号奪還を目指した。そのあたりの詳細については、次項で述べる。

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