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日本のサーキット変遷史Vo.5~岡山国際サーキット編~

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岡山県美作(みまさか)市の岡山国際サーキットは、モータースポーツファン、その中でも特にSUPER GTファンに取っては馴染み深いサーキットだ。大分県のオートポリスと同様、バブル期にF1招致の目的で建設され、アイルトン・セナも走ったことがある。今回は、そんな岡山国際サーキットの成り立ちや歴史を紹介する。

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アイルトン・セナ最後の国内レース会場

岡山国際サーキットは、1980年代に巻き起こったモータースポーツブームの波に乗り、バブル経済の助けもあって1990年にTIサーキット英田としてオープン。入会金1,500万円の会員制サーキットという世相を反映するような制度を取り入れ、そのユニークさとゴージャスさでも話題を攫った。

そんな話題には事欠かないサーキットだが、オープン直後にはバブル経済が崩壊してしまう。しかし、そんな逆風をものともせず、1994年にはF1パシフィックグランプリを開催。

このレースには、史上最高のF1ドライバーとして名高い「音速の貴公子」アイルトン・セナも出走。予選で叩き出した1’10.218というラップタイムは、20年経過した現在でも破られていないままだ。

この後、セナは次戦であったサンマリノGPで悲運の事故死を遂げてしまう。そのため、セナが走った最後の国内サーキットとなった。

続く1995年にもパシフィックGPの開催を予定していたものの、阪神・淡路大震災が発生。国際的なスポーツイベントを行うのは不可能であると岡山県が判断したことから、4月開催予定だったレースを10月に延期。このレースを最後に、岡山国際サーキット(当時はまだTIサーキット英田)でのF1レースは終わりを告げたのである。

その後、紆余曲折ありサーキットを運営していた母体であるタナカインターナショナル株式会社が経営不振のため会社更生法を申請。ユニマットグループの傘下に収まる。それに伴い、2005年にはサーキット名を現在の「岡山国際サーキット」に変更。

さらに2012年には自動車部品等の生産を手がけるアスカが、サーキットの株式を全取得。それ以降は現在までアスカがサーキットの運営を行っている。

コーナー名の秘密

岡山国際サーキットは全長3,703メートル。およそ600メートルのメインストレートと、およおそ700メートルのバックストレートを13の中低速コーナーで構成している。

F1グランプリが行われるサーキットの中では比較的小規模であり、ギャラリーの席とコースが近いため他のレースとは一線を画す臨場感が得られる。

コース内の7つのコースには、鈴鹿の「130R」やベルギー、スパ・フランコルシャンの「オー・ルージュ」と同じく、特徴的な名前が付けられていることも特徴の一つだ。例えば、「モスS」は1950年代に活躍したサー・スターリング・クロフォード・モスの名前を借りた高速コーナーである。

母国であるイギリスでは英雄的存在であるモスは、歴代最高のドライバーに名前が上がる候補の筆頭でありながら、1度も優勝を飾ることができなかったいわば「無冠の帝王」である。

1954年のスイスGPでデビュー以来、81歳となった2011年に正式にモータースポーツを引退。今年の4月に療養中の自宅で逝去した彼は、齢90歳。メルセデスやフェラーリ、多くのモータースポーツ関係者から追悼のメッセージが寄せられたという。

ちなみに、2009年にはメルセデスが「モス」の名前を冠したトリビュートモデルとして、メルセデス・ベンツ SLRスターリング・モスを75台限定でデリバリーされたこともある。

SUPER GT開幕戦の舞台

冒頭、岡山国際サーキットはSUPER GTファンにとって特別なサーキットだと伝えた。その理由は簡単で、例年開幕戦がここで開催されるためである。

初めて開催されたのは1998年のオールスターレースだったが、翌年1999年からはシリーズ戦が行われている。開催時期こそ年によってばらばらであったが、2001年以降は春開催に決められることとなった。

2020年も、SUPER GTの開幕戦として2020 オートバックスSUPER GT ラウンド1 たかのこのホテル 岡山GT 300kmレースの開催が4月11日~12日にかけて開催予定だったものの、新型コロナウイルスの感染拡大状況を鑑みて、開催が延期されることが発表されている。

春の訪れを伝えるように風物詩となっていたSUPER GTの開幕戦。岡山国際サーキットで披露される新しいマシンやカラー、ドライバーの活躍をまた見ることができるようになるのを期待したい。

※ ※ ※

時代の流れやオーナー企業の変更、震災といった多くのことを経験してきた岡山国際サーキット。国際規格のレースのみならず、アマチュアレースやハチロク好きが集まる「AE86 DAY」、その他様々なイベントを開催しており、鈴鹿や筑波、もてぎといった大規模なサーキットと肩を並べるほど大きな存在感を放っている。アイルトン・セナも走ったこのサーキットの歴史を知ることで、参加したり観戦するレースもまた違ったものに見えてくるのではないだろうか。

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