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第4章 国産初のリアル・レーシングカー「R380」

〜第2回日本GPでポルシェに完膚なきまでに叩かれた悔しさをバネに〜

 1965年に国産初の“御料車”開発計画がプリンス社内でスタートする前年、第2回日本GPで総合優勝をたった1台のポルシェ904にさらわれたプリンス・スカイラインGT軍団。その悔しさをバネに、密かにある計画が動き出す。国産初の“本格レーシングカー”の開発だ。

引用:Nissan公式サイト プリンス スカイラインGT

 まったく新しいレーシングマシンの開発は、御料車開発チームと共に設計部に置かれた。開発チーフに就いたのは、歴代スカイラインの開発に携わってきた櫻井慎一郎だ。

 車両開発の基本的なスタンスは、伝統的で保守的とも言えるメカニズムを突き詰めて安全性と信頼性を追求したリムジーネ開発を進める御料車チームと、真逆の方針が示された。

■プリンスR380開発計画

引用:Nissan公式サイト プリンスR380(A-I型) 1966年第3回日本グランプリ優勝車

 ポルシェ・カレラという格の違う相手だったとはいえ、勝ちを意識して臨んだ勝負に負けたことで、同じ土俵でレースを戦いたいという意識がプロジェクトチームの根底にあった。つまり、純粋なレーシングマシンとして革新・先進の技術を駆使したプリンスらしいレースカーを開発するプロジェクトである。正式に「R380開発」チームは、1964年9月にスタートする。

 プリンスはその年の6月、すでにレーシングカー製作を手がける英国ブラバムからBT8型フレームを購入していた。これを参考にして開発がはじまった。パワーユニット以外の構成はすぐに決まった。ボルグ&ベック社のクラッチとヒューランドの変速機、アームストロングのダンパーとガーリングのブレーキ、そして英ダンロップ製のタイヤなど、主要なパーツは定評ある海外のレース仕様パーツメーカーから調達して、1号機の開発が進められた。

 駆動方式はF1などで主流となっていたリアアクスル前、運転席の直後にエンジンを置く“ミッドシップ”後輪駆動だ。当然、GPで圧倒されたポルシェなどと同様に空力特性も重視された。東京大学風洞実験室の装置を借りて、デザイナーを使わずクレイモデルで車体形状を決めていったという。

 搭載エンジン設計・開発もまったく白紙の状態からはじまった。これまで開発してきた乗用車エンジンとは次元が異なる未知の領域である高回転・高出力を標榜してリッターあたり出力100馬力を目指す。形式はつくり慣れたスカイラインGTと同じ2リッター直列6気筒に決まった。ボア×ストロークは82.0×63.0mm、高回転を目指した超ショートストローク型1996ccエンジンだ。放熱性を重視したアルミ製シリンダーヘッドは、気筒あたり吸・排気バルブがそれぞれふたつ、計4バルブを持つ本格派のDOHCヘッドである。燃料の供給装置はウェーバーキャブ3連装とした。潤滑はエンジン高を低くする目的でオイルパンの無いドライサンプ方式とした。

 完成したG8型エンジンは8000rpmで203psを発生する性能値を示し、目標は達成された。その後の改良で徐々に出力アップが図られ、最終的に燃料噴射装置に換装して254psを発揮するにまでブラッシュアップされた。

 ガソリンタンクにもプリンスらしい設計が行なわれた。高速コーナーでクルマを走らせると発生する大きな横Gで、タンクのなかのガソリンが片寄ってガス欠状態に陥ることがある。これを防ぐため中島飛行機のノウハウが応用された。飛行機の急旋回や急降下、宙返りなどに対処する燃料供給システムが活かされ設計したのだ。

 出来上がった鋼管スペースフレームのシャシーに独立式サスペンションを組み合わせ、そこにガルウィングドアが付いたアルミボディが載ったプリンスR380-Ⅰ型は、ダブルウイッシュボーン+コイルスプリングの前後サスペンションに、前5.00L-15、後6.50L-15サイズのダンロップ製レーシングタイヤ+マグネシウムホイールを履いた。全長×全幅×全高3930×1580×1035mm、ホイールベース2360mmとなったボディ&シャシーは、乾燥重量620kgと超軽量に仕上がった。

 公式なエンジンスペックは最高出力200ps以上/8000rpm、最大トルク17.5kg.m以上/6400rpmとされており、設計理論・計算上の最高速度は270km/hに達したという。

 しかし、1965年の日本グランプリは中止となってしまった。

レースのために設計され、生まれてきたR380は、疾駆する場を奪われたのだ。

■スピード記録に挑戦するR380

 そこでプリンスは、このR380でスピード記録に挑戦することにした。舞台となったのは1964年9月に完成したばかりの日本自動車研究所・谷田部テストコース(旧)だ。日本初の本格的高速周回路で、一周は5.5km、約1.5kmの2本の直線を半径400mのコーナーで結んだオーバルコースである。特徴は円曲線部の最大角度45度のバンク。このバンク内では180km/hで走行していれば、ステアリングは直進状態のままで走行できた。

 10月6日、テストは始まった。周回路を快調に飛ばすテストドライバー杉田幸朗がドライブするR380は、それまでのEクラス記録を塗り替える平均速度239.35km/hなど6種類記録を達成した52周目、南バンクを抜けたあたりで突然コントロールを失いコースアウトする。左フロントタイヤのバーストを含むアクスルのトラブルだ。幸いドライバーにほとんど怪我はなく、1週間後に再チャレンジして6種類の記録を樹立した。

■1966年、第3回日本GP「富士」で再びポルシェと激突

 1966年5月3日、第3回日本グランプリは、完成したばかりの富士スピートウェイで開催された。チームプリンスは満を持して4台のR380をメインイベントとなるGP-Ⅱクラスに送り込む。クラス最大のライバルはポルシェの新型レーサー、ポルシェ・カレラ6(906)だった。他のエントリーを見てもトヨタ2000GT、ダットサン・フェアレディSで、相手はカレラ6に絞られた。

 カレラ6は前回の904よりもさらにレースマシンとして性能を向上させた最新モデルで、エンジンは2000ccの水平対向6気筒、出力200psとR380と拮抗していた。が、車重は600kgとひと回り軽く、全体のポテンシャルは下馬評でポルシェが上回るとされた。しかし、ポルシェはプライベートチームで参加する1台、挑むプリンスはワークス体制の4台である。いずれにしても、この2車種のトップ争いは間違いないと見られていた。

 チームプリンスは、訓練されたピットワークで燃料補給も特別な装置を用意して素早く済ませるなど総合力で圧倒し、砂子義一がドライブしたR380(写真の11号車:日産が保存)が優勝、2位と4位にも入賞する圧勝で終えた。余談だが、この日に行なわれたツーリングカークラスでは、出力を190psまでチューンアップしたエンジンを積んだスカイラインGTが優勝している。

 プリンス自動車は、この日の日本GPで、他国内メーカーの追随を許さない成果を上げたのだ。が、しかし、企業としての業績は別だった。このレースが終了した3カ月後の8月に、プリンス自動車は日産自動車に吸収・合併されるのだ。

 優勝した後、チームプリンスの面々は決して満足していなかった。日産に吸収・合併されたとはいえ、チームR380は意気軒昂だったという。以降も技術革新への挑戦は続いた。日本GP優勝の翌年、1967年にボディはFRP製となり、空力特製を研ぎ澄ませたボディ形状に変更、エンジンチューンはさらに進む。

■DOHCヘッドの刻印が“NISSAN”に

引用:Nissan公式サイト R380 (A-II型)

 写真の赤と白の2トーンのモデルは、日産で保存されている車両で、正確に言うなら“R380-Ⅱ改”と呼ぶべきモデルだ。レースで走ったモデルではなく、1967年10月に2度目のスピードトライアルに挑戦したトライアル用に改良されたクルマだ。積まれた6気筒DOHCエンジンの赤い結晶塗装のヘッドカバーの刻印が“PRINCE”から“NISSAN”に変わっている。

 空力を意識し改良されたボディ寸法はやや長く、さらに低くなり、全長×全幅×全高4080×1625×985mm、ホイールベース2360mmとなった。出力&トルクも電子制御燃料噴射装置を得て、230ps/8000rpm、20.5kg.m/6800rpmと大きくアップした。

 トライアルでR380-Ⅱ改は200マイルの平均251.22km/hなど、7種目の輝かしい記録を打ち立てた。

 そして、1968年秋の東京モーターショーで、「R380のエンジンを搭載したスカイライン」と謳われたスカイラインGT-Rが登場する。──敬称略──

「R380を受け継ぐ直6DOHCを積むGT-R誕生」へ続く

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