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第3章 MAZDA RX-2/SAVANNA RX-3始まり

 1970年代に入って、東洋工業はロータリーエンジン(RE)のバリエーションを拡大する。多様な排気量を得るための施策である。生産性やコストを勘案して決断した方法が、エンジンブロックのチャンバー幅の拡大によって排気量アップを図るという方策だ。

 このチャンバー幅の変更で排気量のバリエーションを増やすという手法は、レシプロエンジンで言えばシリンダーボアの拡大やピストンストロークの延長で排気量を拡大、パワーアップを目指すチューニングと同じことだ。

 そこで、取り敢えずファミリア・クーペに積んだMAZDA REの10A型チャンバー幅を10mm拡げて70mmとして出来上がったロータリーエンジン(RE)が12A型だ。ここでMAZDA REの型式について若干説明しておこう。型番の数字は概ね排気量を表しており、10A型は491cc×2ローターで約1リッターの排気量となり、ルーチェに積んだ13A型は、655cc×2ローターで約1.3リッターとなる。つまり新しい12A型は573cc×2ローターで1146cc、約1.2リッターの排気量ということだ。

 12A型REは、最高出力120ps/6500rpm、最大トルク16.0kg.m/3500rpmを発生し、当時同社がファミリアとルーチェの間を埋めるべく開発したカペラ・クーペに搭載した。1970年5月に発表されたカペラ・ロータリークーペ(RX-2)はRE専用車であり、カペラ・セダンの一般的な上級エンジンは1.6リッターSOHCのレシプロエンジンで、そのエンジンよりも12A型は20psパワーがあり、搭載車は当然ながら上級バージョンと位置づけられた。

 いっぽう、従来の10A型REは、ロータリースポーツの主役として1971年9月にそのREを搭載するスポーツクーペ「サバンナ(SAVANNA)RX-3」がデビューする。ファミリアやカペラは、ロータリーエンジンだけでは無くレシプロエンジン車もラインアップしていたが、このRX-3はコスモスポーツ、ルーチェ・ロータリークーペを継ぐ3台目のRE専用車としてデビューした。

 ボディはグランドファミリアと共通だったため、レシプロエンジン搭載車がグランドファミリア、RE専用車をサバンナする兄弟車扱いされることもあるが、フロントマスクの造形やテールランプハウジング、インテリアなどは大きく異なる。またサバンナRX-3の独特で彫りの深い丸形4灯式ヘッドライトの強烈な印象のフロントデザインから、熱心なファンはともかく、同じボディだと気付かない人もいた。

 RX-3サバンナが積んだ10A型REは、491cc×2ローターで、最高出力105ps/7000rpm、最大トルク13.7kg.m/3500rpmまでチューンアップされ、コスモスポーツが搭載した初期型とは別モノに成長していた。クーペのボディ寸法は全長×全幅×全高4065×1595×1350mm、ホイールベース2310mm、車両重量875kgと非常にコンパクトで軽量に仕上がっていた。カタログには、最高時速180km/hを表記していた。

 このサバンナRX-3ロータリークーペの登場から1年後、カペラから移植した12A型エンジンを搭載したRX-3の頂点に立つ新グレード「GT」が追加され、大ヒット作となる。

 サバンナRX-3の名を一躍注目すべき生粋のスポーツカーに引き上げたのは、やはりモータースポーツだった。東洋工業は1960年代後半に、いち早く海外の耐久レースにロータリーエンジンで挑戦していた。ロータリーエンジン車を市販・デビューさせて間もない1968年、コスモスポーツがニュルブルクリンクの「マラソン・デ・ラ・ルート」、通称ニュル48時間耐久レースに参戦して、ほとんど無改造のストック状態で総合4位に入賞し、ロータリーエンジンの底力を見せつけた。1970年のスパフランコルシャン24時間耐久に、ファミリア・ロータリークーペで参戦、5位完走を果たす。

 当時、市販車ベースの日本のツーリングカーレースでは、1969年にレースデビューしたスカイラインGT-Rが、トヨタ1600GTを破って以来、順調に熟成が進められ連戦連勝を記録していた。1970年5月のグランプリでは、日産ワークスが高橋国光、黒澤元治らの名ドライバーを揃えた強力な布陣だった。これに東洋工業はロータリーエンジンを積んだファミリアで挑む。ことらもドライバーは片山義美、武智俊憲のワークス体制で臨んだ。

 予選では絶対王者にあったGT-Rに1秒差まで詰め寄り、決勝では表彰台の一角を占める3位入賞を果たした。

 このレースを機に、東洋工業はロータリーエンジン搭載モデルの刷新を図り、カペラRE、サバンナRX-3と相次いで投入、ワークスの戦闘力をアップさせる。しかし、直列6気筒DOHC24バルブの本格的レーシングエンジンをデチューンしたと言われる160psのパワーユニットを積み、四輪独立懸架の基本性能の高いサスペンションを持ったGT-Rのハンドリングレベルは高かった。

 対するRX-3は北米輸出を睨んで強度に優れたリアサスは、リーフリジッド式のひと世代以上前の古臭い足回りだった。GT=Rの壁は強固だった。

 しかし、サバンナRX-3はGT-Rよりもコンパクトで軽いボディに、やはり軽くてコンパクトなロータリーエンジンを利して、タイトコーナーやそこからの立ち上がり速度の速さで優位に立つ。そして、1972年5月の日本グランプリで、サバンナRX-3がGT-Rを打ち負かし、大きな壁を乗り越える。何と参戦したサバンナ3台が表彰台を独占する快挙をあげたのだ。日産ワークスが繰り出したGT-Rは、4~6位だったから、文句の無い勝利だったと云える。

 軽量でシンプルな構造、高い動力性能などの特性はモータースポーツの世界でも如何なく発揮され、その高い性能は国内だけでなく輸出が本格化していた北米でも評価された。ひと回り大きなスポーツカーを追い回せる俊敏な加速力を持ち、手頃な価格のサバンナRX-3は、ロータリーエンジンの魅力を世界に知らしめることとなる。

 加えて、北米では米ビッグ3が揃って手を焼いていた厳しい排気ガス浄化法、通称マスキー法をホンダCVCCに次いで東洋工業のロータリーエンジンがクリア。“Anti Pollution”を掲げたロータリーAPエンジンは優れた排気ガス浄化機能・環境性能を備えた高性能エンジンとして認知されるのだった。

 もともとロータリーエンジンはレシプロエンジンに較べて燃焼室の温度が低く、NOx(窒素酸化物)の発生が少ない。いっぽう、HC(炭化水素)の発生量が多く、当初そこが米国で問題にされた。しかし、東洋工業の技術陣は、排気ガスに高温の空気を強制的に送り込むことでHCなどを燃焼し尽くし、排ガスを浄化するサーマルリアクター方式を開発。マスキー法の規制値をクリアしたのだ。

 こうして、北米で販売されていたRX-3は、1970年にわずか6000台程度の販売台数だったが、1973年には15万台に迫るまで急伸する。

 しかしである。好事魔多し。ロータリーエンジンに新たな難題が突きつけられる。

 1973年10月、イスラエルとアラブ諸国の間で勃発した第4次中東戦争を契機に、原油価格が高騰する。世界経済に大きな打撃を与える第1次オイルショックである。

 “水より安い”とまで揶揄された安価なガソリンが北米自動車社会を支えていたわけだが、米国市場はオイルショックに異常と思えるほどヒステリックに反応。省資源へと北米の社会的要求がシフトする。クルマの省燃費性能に注目が集まり、日本車全般は燃費性能に優れていたことで、評価を一気に上げるのだが、ロータリーエンジンだけは例外とされた。

 高性能エンジンとして市場で熱狂的に支持されてきたロータリーエンジンに、北米で付けられた新たな仇名は「ガス喰い虫」だ。この悪評が日本にも伝播、ロータリーエンジン搭載車の販売が世界的に急落する。東洋工業の経営基盤そのものが苦境に陥り、企業存続の危機を招く。

──敬称略──

「飽くなきREへの挑戦、技術革新」へ続く

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