オイルショックによる存続の危機を、1978年3月にRX-7の登場で乗り越えたMAZDAロータリーエンジン。そして、RX-7はロータリースポーツのアイコンとなり、累計47万台を超える生産台数を記録した。そして、うち40万台近くが海を越え北米に送られた。
初代SA22C型RX-7は、ボディサイズが全長4285mm×全幅1675mm×全高1260mm、ホイールベース2420mmと非常にコンパクトで、重量1050kgと軽量な2+2座のスポーツカーだった。このコンパクトさを比較するのに恰好の素材がある。
先祖返りを意識して、小さく軽量な初代ロードスターを志向したと言われる現行の4代目となるFD型2座オープンスポーツのロードスターだ。その全長×全幅×全高は3915×1735×1235mm、ホイールベース2310mm、車重990~1060kgだ。プラス2とは言え4座のためRX-7の全長は370mmほど長いが、ほかの数値は近似値といえる。
搭載するパワーユニットはRX-7がロータリーエンジン(RE)、ND型ロードスターがレシプロの直列4気筒DOHCだが、その出力&トルクの数値も非常に似ている。前者の12A型REは当初、最高出力130ps/7000rpm、最大トルク16.5kg.m/4000rpmを発揮した。後者のDOHCは1.5リッターのキャパシティから最高出力132ps/7000rpm、最大トルク15.5kg.m/4500rpmである。ライトウエイト・スポーツとしての扱いやすさ、運動性能を追及すると、このあたりのサイズ感&重量、そしてパワー&トルクが理想値というサンプルのような2台である。
長い間人気を保っていたSA22C型は、1983年に12A型をターボ+電子制御燃料噴射でチューンアップした165ps/6500rpm、23.0kg.m/4000rpmのハイパワー&大トルク化しながら、1985年9月にフルモデルチェンジして2代目FC3型に移行する。
■運転者の感性を重視したスポーツ
成功した初代を継ぐ2代目、FC3S型RX-7の開発にあたり開発陣がテーマとしたのは、「ドライバーが感性で乗る領域をしっかり残したスポーツカー」だったと伝わる、
先代と同じくフロントミッドシップ搭載するパワーユニットは、573cc×2ローターの12A型から654cc×2ローター・1308ccの13B型に排気量アップを果たし、全車ターボで武装していた。そのターボチャージャーは、電子制御ツインスクロール化+インタークーラーなどで強化され、車重1290kgの新型に最高出力185ps/6500rpm、最大トルク25.0kg.m/3500rpmの高出力と太いトルクを与え、ピュアスポーツとしてドライバビリティとスポーツ性を大きく向上させた。
ボディはひと回り以上大きくなり、2シーター風のプロポーションとなったが、狭いながら後席を持った2+2座のクーペボディを引き継いだ。そのボディ寸法は全長×全幅×全高4310×1690×1270mm、ホイールベース2430mmに成長したエクステリアデザインは、ポルシェ944にあまりに似ていることを揶揄され、北米では“プアマンズ・ポルシェ”と呼ばれた。
しかし、エンジン、スタイリングとともに新型の注目ポイントは、当時マツダが持っていた技術のすべてを投入して開発した足回りにあった。フロントはロアアームをアルミ鍛造製のAアームを奢ったマクファーソンストラット式独立。リアはセミトレーリングアーム+ラテラルロッド式独立となった。ラックアンドピニオンとなったステアリングシステムには、最廉価版を除いて横G感応型パワーステアリングが装着された。ブレーキも大幅に強化され、組み合わせたホイール&205/60R15タイヤの15インチ化と併せて4輪ともに大径のベンチレーテッドディスクとなり、完全に先代を超えるアップグレードを果たしていた。
このFC3型は、後にF1ドライバーに昇り詰める片山右京が、サーキットで徹底的にドライビングレッスンのために使い倒したモデルでもある。
1987年1月には、BBS製の鍛造メッシュアルミホイールなどを装着した特別限定車「∞/アンフィニ」が発売され、同じ年の8月にはアンフィニと同じホイールを履き、ルーフを取り去り、ドアサイドウインドウに三角窓を付けたカブリオレを追加した。この電動オープンソフトトップを持ったカブリオレは、1989年にデビューする2座オープンの新型ロードスター開発に活かされたという。
1989年4月にマイナーチェンジを受け、リアコンビネーションランプを角型から丸型3灯への変更、サスペンションの改良、前後バンパーおよびボディのモール形状、アルミホイールの軽量化、前席シート、インパネセンターと計器類デザインが改められた。同時に、13B型エンジンもターボタービンの改良により、最高出力205ps、最大トルク27.5kg.mに向上した。
FC3型が次期型のFD型へスイッチする直前の1991年6月、前項・第4章で詳報したように、マツダは長い挑戦を経て、ロータリーエンジン搭載マシン「787B」で、ル・マン24時間レース総合優勝を果たすのだった。
1991年12月、フルモデルチェンジを受けてRX-7はFD型へバトンをわたすも、カブリオレだけは、1992年10月のファイナルバージョンまで継続生産される。
ル・マン24時間に勝利したマツダ・ロータリーエンジン、FD型・3代目RX-7発表は前述のように1991年10月に都内の会場で盛大かつ意気揚々と行なわれた。同時に発売・納車はその年の12月からとされた。そして、この3代目から“サバンナ”の冠が消滅して、新生アンフィニ・ブランドに移行、「アンフォニRX-7」を名乗る。
一新されたエクステリアは一層ピュアスポーツらしい造形となり全幅は完全に3ナンバーに移行した。そのサイズは全長4295mm×全幅1760mm×全高1230mm、ホイールベースは2425mmとなったものの、車両重量は1260kgと当時の2リッター・ターボクラスに較べれば、200kg近く軽いライトウエイト状態をキープした。そして、前後の重量配分50:50とするフロントミッドシップレイアウトを堅持した。
加えて、ハンドリングレスポンスの向上を目的に、低重心化への施策が進み、フロントミッドに搭載するエンジンの全高を下げ、新たにそれを支持するフレームを採用して搭載位置を50mm低めた。同時に前席着座位置も50mm下げ、ボンネット高は従来比70mmも低い設計となった。
搭載したパワーユニットは、低回転域では1基、高回転域になると2基が作動する“シーケンシャル・ツインターボ”の654cc×2ローターの13B-REW型に進化する。EGI-HS電子制御燃料噴射装置がハイオクガスを供給して、最高出力255ps/6500rpm、最大トルク30.0kg.m/5000rpmを発生した。このエンジンの最高許容回転数は8000rpmだったが、実際にドライブすると1速はおろか、2速でもその後のシフトアップを待ちきれずに瞬時に、そして、いとも簡単に回転計の針がレッドゾーンを跳び越えてリミッターが作動し、アラート音が室内に鳴り響く俊敏さを持っていた。
足回りはバネ下重量軽減を狙ってアルミ鍛造製アームによる全輪ダブルウイッシュボーン式独立となった。1992年10月、30kgの重量軽減を図った特別仕様車タイプRZを発売し、翌年にはサスペンションの改良、内装変更などを実施した2座のタイプR-2を設定した。1997年にマツダの販売チャネル統合で、名称を「MAZDA RX-7」に変更、翌1999年最高出力280psまでアップさせ前後エクステリア意匠を変更するも、厳しくなる排ガス規制に敵わず2002年8月で生産を終えた。
ところがマツダは2003年3月、RE搭載の4座スポーツ「RX-8」を発表する。搭載エンジンは、全面新設計となる自然吸気型13B-MSP型だ。その最高出力はNAエンジンながら250ps/8500rpm、最大トルク22.0kg.m/5500rpmを発生した。
RX-8が特徴的だったのは、メインマーケットである北米を睨んだ当時の親会社・米フォード社の意向で、大人4人が乗れるクーペとしたことだった。4ドア化にあたってロータリースポーツの「軽快さ」をスポイルしない「フリースタイルドア」と呼称した前後ドアに観音開き構造を採用した。
しかし、RX-8も遂に2010年5月、欧州排ガス規制「ユーロ5」に適合できずに、欧州での販売終了を決定。日本とアメリカでも2012年を以て「RX-8」を生産終了する。その後、マツダのロータリーエンジン搭載車は途絶えたままだ。
2015年11月の「東京モーターショー」で、気になるコンセプトモデルが発表された。ロータリーエンジン“SKYACTIV-R”搭載のスポーツカー「MAZDA RX-VISION」だ。
プレスカンファレンスで、当時のマツダ社長・小飼雅道は、「マツダはロータリーエンジンの研究・開発を継続しています。“SKYACTIV-R”は“常識を打破する志と最新技術をもって課題解決に取り組む”という意味が込められています」と述べて、マツダは“ロータリーエンジンを放棄せず”という決意を示した。
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