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バブル景気前夜、ハイソカーブームの主役はX70系・5代目「トヨタ・マークⅡ」

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1980年代後半に訪れるバブル景気の前兆ともいえる現象は、すでに80年代に入ると証券取引分野や不動産市場だけでなく、自動車業界でも起きていた。“Go to Bubble”への動きは1980年10月に登場したトヨタ・マークⅡに始まり、12月にプロトタイプが公開されたトヨタ・ソアラが引き金だった。

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 1980年に発売された4代目X60系「トヨタ・コロナ マークⅡ」は、兄弟車にクレスタ/チェイサーを従え、ソアラから移植された真っ白な“スーパーホワイト”のボディカラー、160psツインカム24、ピラーレス4ドア・ハードトップという強力な記号性をもってバブル前夜にヒットする。

■バブル前夜の象徴“ハイソカー”と揶揄されたX70系の登場

 そして、インターミディエートのカテゴリーで強さを発揮していた、そのマークⅡ3兄弟の人気を決定付けたのが、1984年に登場したX70系の5代目マークⅡである。この世代から「コロナ」の冠名がはずれ、「トヨタ・マークⅡ」として独立したモデルと位置付けられた。時代はまさにバブル直前、先代よりもパーソナル感を強く打ち出した雰囲気のなかに、トヨタの最新メカニズムを凝縮したモデルだった。

【Photo:MARKⅡ 5th_1】先代よりもパーソナル感を強く打ち出し、トヨタの最新メカニズムを凝縮した5代目「マークⅡハードトップ グランデ・ツインカム24」

 この3機種のX70系BROSもメインのボディカラーに“スーパーホワイト”を継承、これを全面に打ち出して「マークⅡ3兄弟は白」という図式が決定的になり、爆発的なヒットとなる。ソアラの4ドア版の弟とも云えた3兄弟の月間平均販売台数は、カローラを上回る3万台超/月という数字を叩き出すに至った。

 ボディ形式は、マークⅡが4ドアセダンとステーションワゴン、そして4ドアハードトップでトヨペット店扱い。クレスタは上品なプレスドアの4ドアセダンでビスタ店扱い、チェイサーは4ドアハードトップでトヨタオート店扱いだった。この3台は、ライバルと黙された日産ローレルや日産スカイラインGTなど4ドアのパーソナルカー、ハイオーナーカーを販売台数で完全に置き去りにした。

 販売を牽引した3兄弟の主軸モデル、マークⅡハードトップ グランデ・ツインカム24は、ボディサイズが全長×全幅×全高4,690×1,690×1,385mm、ホイールベースが2,660mm。

車両重量1,300kgで、トヨタの最上級サルーンであるクラウンとほぼ同寸の5ナンバーサイズいっぱいにまで拡大したボディになった。そして、この白い“ハイソカー”マークⅡ3兄弟のボディカラーは完全に主流となり、ピーク時の1986年~87年にはその占有率が何と74.4%に達したという。全国の街角でハイソサイエティのための“ハイソカー”と俗称された白い4ドアサルーンが溢れかえる。

【Photo:MARKⅡ 5th_2】マークⅡのCピラーにはピアノブラックの樹脂で覆ったのがデザイン上の特徴、ボディサイズは上級のクラウンと同等に拡大 ボディサイズは全長×全幅×全高4,690×1,690×1,385mm、ホイールベースは2,660mmとなった

 とはいえ、マークⅡ3兄弟はボディカラーだけで売れた訳ではない。メカニズムでも時代の先端を走っていた。

 売れ筋のツインカム24ユニット1G-GEU型エンジンは、ボア×ストロークが75×75mmのスクエアな1988cc直列6気筒DOHC24バルブで、グロス値ながら最高出力160ps/6,400rpm、最大トルク18.5kg.m/5,200rpmという高回転型のスポーティなエンジンだった。

 1985年10月には、1G-GTEU型を搭載した「GT TWIN Turbo」を追加。これは日本初のツインカム・ツインターボユニットである。そのカタログスペックは最高出力185ps/6,200rpm、最大トルク24.0kg.m/3,200rpmで、この際の数値はネット表示となった。トヨタは1986年初頭にこのツインターボユニットを、2代目GZ20系ソアラ(1月)と初代GA系スープラ(2月)にも搭載。1988年1月のマイナーチェンジでハイオクガソリン仕様に変更となって200ps/28.0kgmへと出力&トルクを向上、リッター100psを達成した。組み合わせるトランスミッションは電子制御4速AT(ECT-S)と5速MTが用意された。

 走りを支える足回りは、フロントがマクファーソンストラット式、リアがセミトレーリングアーム式の4輪独立サスペンション。上級グレードには、悪路での乗り心地とコーナリングにおける軽快なフットワークを両立させる目的で、ダンパーの減衰力を3段階に変化させる新型TEMS(トヨタ・エレクトリック・モデュレーテッド・サスペンション)が組み込まれた。

 このTEMSはモードがノーマル/スポーツと各オートモードの計4モードで、ノーマルオート・モードでは、車速が80km/hを超えるとダンパーの減衰力が自動的に高められ、60km/h以下に落ちると減衰力得が元に戻る車速感応機能が特徴だった。スポーツモードの走りを支えるため前後スタビライザーを標準で備えた。

 また、高い制動力を担うブレーキは全輪ベンチレーテッドディスクとし、メーカーオプションとしてLSD、205/60R15タイヤと15インチホイールが選択でき、スポーティサルーンとしてなかなかの実力の持ち主だった。

■バブル絶頂期にデビュー、X80系6代目モデル

 1988年8月、まさにバブル景気絶頂期にマークⅡ3兄弟は、ステーションワゴンを除いて国産車のお約束どおり、4年のインターバルを経てX80系6代目のモデルに移行する。月販3万台というクラスのレベルを超えたトヨタの“ドル箱”だけに、外観の変化は控えめで、ボディサイズは車幅が5mm拡大し、これ以上は普通車となる小型車5ナンバー枠ぎりぎりまで大きくなった。ホイールベースは20mm伸ばされ、リヤシートの居住性拡大に充てられた。

 ボディ形状は5thモデルよりも全体的に曲面で構成された4ドアセダンと4ドアハードトップの2種。外観はキープコンセプトだが、シャシーは全面的に刷新された。フロントサスペンションは形式こそマクファーソンストラットだが、ハイキャスターの採用、キングピンオフセット縮小などが実施された。6気筒車のリア側はセミトレからダブルウィッシュボーン式独立に改変し、乗り心地の向上を図っている。

 この世代で、搭載するガソリンエンジンは、すべてがツインカム(DOHC)となり、6気筒の強力バージョンは先代からキャリーした1G-GTE型ツインカム・ツインターボで210ps/28.0kg.mと出力アップを果たした。またこのモデルから、2リッター6気筒DOHC+スーパーチャージャー(170ps/23.0kg.m)が加わった。1989年3月には3リッターNAの直列6気筒DOHC搭載車が追加され、1990年には2.5リッターDOHCツイン髱までがラインアップされ、極めて複雑なグレード構成となった。

 バブル景気に影を落とす1992年10月にフルモデルチェンジを受けて7代目・X90系となる。6代目X80系は、5ナンバー・マークⅡ最後のモデルとなった

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