1979年12月、国産初のガソリンターボエンジン第1号車として解禁されて以来、日産は怒濤のターボ攻勢で高出力化を図る。国産にターボブームが訪れるか、と思われたなかで、トヨタは5ナンバー枠を超えた、大排気量DOHCエンジンを選択した。トヨタスペシャリティの旗艦、TOYOTA 2800GT「ソアラ」の登場だ。
ターボエンジン搭載車を次々に投入してラインアップの拡充を図っていた日産は、新しいジャンルの2/4ドアクーペスペシャリティ「レパード」を1980年9月に発表した。5ナンバーボディながら意欲的で大胆なスタイリングは日産ファンを唸らせた。
ところがその頃、国内の自動車専門誌はトヨタの新型車スクープを競い合っていた。いま思うと、敢えて情報をリークしたティザーとも思えるほど、情報は細かく整理されていた。
各誌では、「新型車は、メルセデス・ベンツSLCのようなボクシーなクーペで、新設計2.8リッターDOHCエンジン搭載、最高出力170psから最高速200km/h」というリードが踊っていた。
トヨタEX-8の登場
1980年12月に開催された大阪国際モーターショーで、トヨタは「EX-8」と名付けたプロトタイプを発表した。ほぼ市販車レベルに達した完成度の高い2ドアのノッチバッククーペは、ショーモデルとして派手な赤いモケット張りの内装だったこともあり、口の悪いある評論家をして「錦糸町のキャバレー」と言わしめた。日産レパードのエクステリアデザイン&パッケージが玄人受けして、評価が高かったその時、反動とも云えるトヨタの田舎臭さとして評されたのだ。
だが、翌1981年2月、80年代のトヨタを代表するイメージリーダーとして「ソアラ誕生」のキャッチコピーとともに正式に発売されると、市場はこの高級なクーペを熱狂的に受け入れる。
ソアラには「スーパーグランツーリスモ」というサブキャッチが付けられ、トヨタ高級パーソナルカーとしてフラッグシップたるGTモデルだった。開発に力の入ったモデルであり、トヨタGT各社のなかのGTを目指し「これまでの技術を超えた最高級スペシャリティカー」を開発テーマとして、先進技術の総力を結集したとされた。
ソアラがデビューすると日産レパードは完全にその後塵を拝することとなる。ソアラが持っていた「2.8リッター・ストレート6・DOHC」という記号が、特別感とともに日本のマーケットに浸透していったのだった。
また、ソアラのエクステリアにも品のある特別感があった。控えめに傾斜したAピラーと僅かに前傾するBピラーまでを構成するプレスドア。そして広くて明るいリアクオーターを結ぶ細いCピラーで構成された明るいキャビンはソアラの個性だった。加えてボディカラーである。ソアラのエクステリアのために関西ペイントと共同開発したとされる明度の高い“特別な白”である「スーパーホワイト」が、ソアラの特別感を引き上げたのである。
5M-GEU型・直列6気筒DOHCは日本初の2リッターオーバーのツインカムユニットで、2759ccの排気量から出力170ps/5,600rpm、トルク24.0kg.m/4,400rpmを得た。ソアラのために開発したこのユニットは、クラウンの5M-EU型OHCのブロックにアルミ製ツインカムヘッドを載せ、カム駆動をタイミングチェーンからタイミングベルトに変え、カムとバルブの隙間を常に油圧によってゼロに保つラッシュアジャスターを採用した凝ったメカニズムを持っていた。
ボディサイズは全長4,655mm×全幅1,695mm×全高1,360mm、ホイールベース2,600mm。完全な5ナンバーサイズだった。トレッドは前1,440mm、後1,450mmで、全幅がソアラ比で95mmも広い1,790mmだったメルセデス・ベンツ280SLCのトレッド前1,452mm、後1,440mmよりも広かったのである。ソアラが安定感のあるスタイリングを獲得したワケはこのあたりにあったのだ。また、車両重量はこのクラスのクルマとしては異例に軽い1,300kgだった。
このボディを支えるサスペンションは、ソアラのために開発した4輪独立懸架で、フロントサスペンションがマクファーソンストラット式、リアがセミトレーリングアーム式と手堅くまとめた。この足回りに組み合わせたタイヤは195/70HR14サイズのミシュランXVS。ライン装着タイヤは、その後に認可された60%扁平のミシュランP6に換装される。
正確な制動を担うブレーキは日本車初となる4輪ベンチレーテッドディスクが採用された。ステアリングシステムはトヨタ車初の“パワーアシスト付き”ラックアンドピニオンだった。ノンパワーのラックアンドピニオン式ステアリングは1978年にトヨタ2000GT以来とされるKP61型スターレットで採用して好評を得ていた。トヨタの最も廉価なモデルに採用されたステアリングシステムが、3年後に最も高価なクルマでアシスト付きで採用された稀有な例といえる。以降、トヨタ各車はラックアンドピニオン式を一斉に採用する。
初代ソアラは、バブル景気の到来を予測したように、その前夜に颯爽とデビューした。そして、トヨタの予測を大きく超えるヒット作となった。
■そして、羨望は続く……
バブル経済に本格突入する1986年にソアラは2代目にスイッチする。初代の大ヒットを受けて登場した2ndバージョンは、完璧なキープコンセプトに思えた。「2年以上のデザイン製作・試行錯誤の末、高い質感の2ドアノッチバッククーペを突き詰めると、初代の端正なフォルムに行き着くのだ」と開発者は説明したと記憶する。
しかし、第2世代のソアラのメカニカルな中身は、初代とはまったく別モノだった。真骨頂はサスペンションだ。初代のストラット式+セミトレーリング式から、前後ともダブルウイッシュボーンの4輪独立懸架に刷新され、トヨタ独自開発の電子制御サス「TEMS」を搭載してハンドリング性能を圧倒的に高めた。上級グレードのタイヤはピレリP6を装着した。
パワーユニットも圧巻だ。初代後期で登場した3リッターの本格的な4バルブDOHCエンジンにターボを付加した新ユニット「7M-GTEU」は、230ps/5,600rpmと33.0kg.m/4,000rpmの出力&トルクを得た。トランスミッションは5速MTと4速ATが用意されていた。
このエンジンを積んだ3.0GTリミテッドのボディサイズは全長4,675mm×全幅1,725mm×全高1,345mm、ホイールベース2,670mm。車両重量は1,520kg だった。
2代目ソアラは初代と別モノの諸元を持ったモデルだが、端正なフォルムを初代から受け継ぎ、500万円近い新車価格だったにもかかわらず、端正な「洗練され成熟した大人のクーペ」として大ヒットする。