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第2章 第2世代スカイラインとポルシェ904、そしてスカG

 プリンス自動車の生産拠点となる村山新工場が1962年10月に第1期工事が終了。1963年にその工場に画期的な施設「村山工場テストコース」も完成した。自動車貿易自由化が目前に迫るなか、プリンス経営陣はスカイラインとグロリアの2車種体制を強化する。

 初代スカイラインの乗り心地改善をはかる目的で、リアサス・スプリングの設計を担当したプリンス自動車の櫻井慎一郎が、第2世代のスカイラインのシャシーレイアウト開発を担当する。1963年9月、東京オリンピック開催の前年に発表された、この2代目となるS5型「プリンス・スカイライン」は、2リッタークラスの上級大型モデルとして「グロリア」が位置付けられたため、初代スカイラインの最終型である1.9リッターから、1.5リッタークラスの4ドアセダンとして、トヨタ・コロナや日産ブルーバードをターゲット、そしてコンペティターとしたモデルとなって登場した。

[S5型・スカイラインのモデル概要]

 2代目スカイライン1500は、時代が要求する高速走行に耐え得るクルマとするのが必須要件とされ、村山新工場完成で可能になった精度の高い工作技術を活かした完全なモノコック構造のボディ&シャシーとなった。ボディ寸法は全長×全幅×全高4100×1495×1436mm、ホイールベース2390mmのスクエアでボクシーな3ボックスセダンだ。サスペンションは前が先代から受け継いだダブルウイッシュボーンの独立だが、後はド・ディオンアクスルからオーソドックスで堅牢なリーフリジッドに変わった。

 新型スカイラインの大きな特徴は、メンテナンスフリーを打ち出したクルマだったことであり、封印エンジンを含めて、2年もしくは4万km保証を打ち出した。そのエンジン「GA4型」は、それまで富士精密の名で生産していた1.5リッターFG4A型の改良版だ。社名が1961年に富士精密からプリンス自動車の改称したことで、“F”の文字が消えた結果の型式名である。

 このボア×ストローク75.0×84.0mm、1484ccの直列4気筒OHVは、最高出力70ps/4800rpm、最大トルク11.5kg.m/3600rpmのアウトプットで、1.5リッタークラスとして相変わらず世界的にみてもトップクラスのスペックを叩き出していた。

 正式な新型スカイライン1500デラックスの車両価格は73.0万円で、このときのトヨタ・コロナ1500デラックスは67.9万円、日産ブルーバード1200デラックスは66.7万円だった。

[鈴鹿サーキットと日本グランプリ]

 S5型デビューの前年1962年11月に、ホンダは本格的なモータースポーツと高速モータリーゼーションの到来を予想して、日本初のサーキット「鈴鹿サーキット」を完成させていた。そして、このサーキットで翌1963年5月3日~4日に、日本初の本格的な自動車レースとして「第1回日本グランプリ自動車レース大会」が開催されることが決まった。

 プリンス自動車も新しいグロリアと流麗なクーペであるスカイライン・スポーツで参戦する。しかし、スカイライン・スポーツは7位がやっと、グロリアは予選通過さえも成らずという惨憺たる結果に終わった。いっぽう、パブリカ、コロナ、クラウンが参戦したトヨタは、3クラスすべてで優勝、コロナはクラス1位から3位までを独占する強さを発揮した。

 結果に激怒したのは、会長に就任していた石橋正二郎だ。自動車工業会が、「レース参加車にメーカーは手出しをせず、自らチーム編成・運営をしない」という申し合わせを、バカ正直とも云える愚直さで守ったことに呆れたという。レースに勝つことの重要性を見抜かなかった首脳たちに怒り心頭に発したというのだ。

 事実、レース直後トヨタは「日本グランプリ優勝キャンペーン」をぶち上げて、販売現場においてセールスに大きく貢献したといわれているのだ。石橋の怒りを鎮めるために、平身低頭の首脳は「1年待ってほしい」と願い出たという。

 1964年5月の第2回日本グランプリは、自動車工業会の申し合わせは撤回、各メーカーがワークス体制で臨む本格的なレースとなった。プリンスチームは、新しくなったばかりの2代目スカイラインと6気筒エンジン搭載のグロリアで参戦する。チームを率いるのは実験部長の田中次郎、その下に設計部の櫻井慎一郎、実験部の青地康雄が就く。

 ドライバーは前年に続きスター性をもったレーシングドライバーの生沢徹、ヤマハ二輪のエース・砂子義一ほかプロレーサー計4名と契約。ほかは社員ドライバーを起用した。契約ドライバーは走りを追及し、社員はレース車両開発へ情報のフィードバックを担ったという。このチームの運営費は前年にトヨタが費やした予算の何10倍にも達した。が、プリンスは必勝体制のため。金に糸目を付けなかったように見えたという。

 チームが出した“レースに勝つ条件”は櫻井慎一郎の発案で、コンパクトで軽量なスカイライン1500のボディに、グロリアの2リッター6気筒を強引に搭載することだった。

 フロントウインドウ直下のバルクヘッドから前のボディを200mm延長したロングノースのモノコックボディを持った全長×全幅×全高4255×1495×1410mm、ホイールベース2590mmの特別な「スカイライン2000GT」の誕生である。

 搭載エンジンは、グロリア・スーパーシックス用の強力なG7型2リッター直列6気筒SOHCエンジンだ。これに当時、最高性能とされたウェーバー製サイドドラフト・ツインチョーク・キャブレター3連装するハイチューンを施した。同時にサスペンションなどシャーシ強化のための各専用パーツも開発され、レース車両にこれらが組み込まれた。

 スカイライン2000GTが参戦する予定のGT-Ⅱ部門(2リッター未満)クラスは、規定で100台以上の生産が必要とされていた。そのホモロゲーションをクリアするため1964年1月から急遽、S54A-I型「スカイライン2000GT」を100台生産した。レース用車両10台を残して1964年5月、90台のスカイラインGTは、88.0万円で販売され、即・完売したという。

 1964年5月、鈴鹿コースの第2回・日本GPのGT-Ⅱ部門にプリンスは、7台のスカイラインGTを投入した。テスト走行などからスカイラインの優勝で堅いとされていた。が、予想していなかったライバルが出現する。前年の日本GPでトヨタチームから出場、コロナとクラウンで2クラス優勝した式場壮吉が、フリーの立場でポルシェ904を輸入・購入し、出場してきたのだ。明らかにスカイライン潰しの作戦であった。

 ポルシェ904は、ほぼ純粋なレーシングマシンだ。到底国産の乗用車ベースのスカイラインが敵う相手ではなかった。FRP製のボディは全長×全幅×全高4090×1540×1065mm、車重650kgと小さく軽い車体に180ps/20.5kg.mを発揮する1966cc水平対向4気筒DOHCエンジンをミッドシップに積み、5速マニュアルを組み合わせた本格派だ。スカイライン2000GTとは別次元のクルマだった。

 ところが決勝レースでハプニングが起こる。スタートして7週目で、トップを走る式場壮吉ポルシェが周回遅れのクルマをパスするのに手間取っている間に、生沢徹がドライブするスカイラインGTがポルシェ904を周回遅れのマシンと共に一気に抜き去ったのである。生沢スカGが、わずか1周だけだがトップを走った場面が“スカイライン伝説”の発端となる。ホームストレッチを走る生沢がドライブするスカイラインGTがポルシェを従え走行した場面で、観客は総立ちになった。同時に大歓声が湧いた。スカG伝説の第1章が幕を開けた瞬間だ。

 プリンスは翌1965年2月、生沢徹がドライブしたレースモデルと同じくウェーバー製キャブレターを3連装し、125ps/5600rpmの出力を持ったスカイライン2000GT(S54B-II型)として発売した。価格は89.0万円だった。同年、9月には、必要数量を確保するのが難しいウェーバーキャブレターを1基とし、ディチューンした105ps仕様の「2000GT-A」(S54A-II型)を追加。2月に発売されていた高性能版2000GTは、「2000GT-B」となった。この際、GT-Aは青のGTエンブレム(通称:青バッヂ)、GT-Bは赤のGTエンブレム(赤バッヂ)を装着したことが、外観上の僅かな差異である。

 なお、レース仕様と同じGT-Bは、日本GPに参加した社員ドライバーが最終チェックして、サイン入りのステッカーが付けられてユーザーに手渡された。

 その伝説のスカイラインGTを生産したプリンス自動車は、業界再編の波に飲み込まれ、1966年8月に日産自動車に買収・合併される。その後、日産スカイラインGTとして“スカG伝説”を継承するGT-Rに昇華する。──敬称略──

プリンスという名の国産初「御料車」へ続く

日産自動車の手によって保存されているプリンス・スカイライン2000GT-B(S54B-II型)

第2回日本GPでスカイラインGT対する刺客として式場壮吉がドライブしたポルシェ904そのもの。数名のオーナーの手にわたり、完全レストアされて保存されている

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