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第1章 初代SkylineとSkyline Sport、伝統の名車スカイラインの誕生

 1951年10月に富士精密工業がつくり上げたFG4A-10型エンジンは、1484cc直列4気筒OHVで、出力45ps/4000rpmとなった。そして、翌1952年2月15日、このエンジンを積んだ試作車が完成。車名は同年の明仁親王の立太子礼を記念して「プリンス」とされた。

──初代Skyline(SI系)の開発までの経緯

 1953年に発売した「プリンス・セダン」は、プリンス自動車にとって習作と云えるモデルで、闇雲な試行錯誤の結果、でき上がったクルマとも言えた。そのプリンス・セダンを1957年、5年ぶりのモデルチェンジ版として初代「スカイライン」がデビューした。

 このスカイラインは、プリンス自動車にとって初めてとなる本格的な車両開発プロセスを経て完成したクルマだった。試作車による走行テストも、他のメーカー同様に本格的に実施されたという。

 SI系初代プリンス・スカイライン(ALSI-1S)の開発計画は、プリンス・セダンを発売して間もない1953年にすでに始まっていた。基本的な構想は、「たま自動車」と「富士精密工業」が合併して、統合した両社の設計屋が荻窪工場に集結してからだ。当時、富士精密へ出資し社長に就いていたブリヂストン社長の石橋正二郎は、一貫した高級車指向で、スタイルも米国車に負けないイメージを要求したという。そこで設計陣が立てた計画では、「日本の悪路走行にも耐えられ、かつトヨタや日産に負けない、国際的な水準を超える先進的な性能を目指す」ことだったようだ。

 スタイルで米国車に負けないこと、そして優れた走行安定性を得るには、単純に車高とフロア高を低く設定することが要求される。この時代、乗用車でも主流だったトラックのようなフレーム構造のシャシーにボディを載せる方法では、車高が高くならざるを得ない。

 そこでプリンス陣営が考案したのが、セミモノコック構造とも言えるトレー式フレームだ。シャシー構造の背骨となるフレームにフロアとなるトレーを結合させた構造で、従来のフレーム構造と、その後の乗用車の主流となるボディ構造、モノコックの中間的な構造といえる。

 プリンスの乗用車は電気自動車「たま」でラダーフレーム、ガソリン車のプリンス・セダンでX型フレーム、そしてスカイラインでトレー型へ進化したのだ。ただ、その頃の先進的な欧州車、オースチンやルノーは、すでにモノコックボディ&シャシーを使っていた。

 しかし、未舗装の悪路が多い日本の道路事情が、モノコックは時期尚早と判断された。同じようなトレー式のクルマとして当時にVWタイプⅠ(ビートル)やシトロエン2CVなどがあり、上に載るボディの車高は下げられ、ボディ形状の自由度は高いことが特徴だ。

 トレー式フレームを採用した新型スカイラインの全長×全幅×全高は4280×1675×1535mmで、プリンス・セダンよりも車高が105mmも低くなった。ホイールベース2535mmと同じだが、室内空間の広さはスポイルされていない。車重は1310kgだった。

 初代スカイラインもメカニズムで注目すべきは、サスペンション構造だ。フロントサスは、プリンス・セダンにも採用された先進的なダブルウイッシュボーン式独立だが、リア側のサスペンションはスカイラインを特徴づけるド・ディオン・アクスルだった。バネ下重量の軽減を狙った設計だ。当時は“半独立懸架方式”とも言われたサスペンション構造である。

 また、組み合わせたリーフスプリングにも工夫が凝らされた。リーフ式の欠点であるフリクションを減らして乗り心地を改善する目的で3枚リーフとしたのだ。通常の4枚バネの方が耐久性に不安が無いことは理解したうえで、新設計したリーフスプリングで問題を解消し、快適な乗り心地を得た。この設計には、後のスカイライン2000GTの設計主体となり、日産による吸収合併後も歴代スカイライン設計主査となる若き櫻井慎一郎だった。

 搭載エンジンは富士精密がプリンス・セダンのためにつくったユニットの改良型FG4A-30型1484cc・4気筒OHVで、最高出力60ps/4000rpm、最大トルク10.75kg.m/3200rpmを発揮した。同じころの1.5リッターユニットと比較すると、トヨタのクラウンが48psでしか無く、圧倒的な高性能を誇るエンジンだった。これに4速マニュアルミッションを組み合わせて、最高時速125km/hを達成したとされている。

 こうしてスカイラインの試作車は1956年5月に完成。当時のクラウンやダットサンなどでは、メーカー主体でクルマの生産コストを考慮した開発・設計がすでに成されていた。しかし、スカイラインは、乗り心地が良く、高い走行性能を持ち、スタイリングも高級感を持たせるという開発陣の理想が詰まったクルマだったから故、ライバルに較べてクルマの構造が複雑で、コストがかかるクルマとなっていた。

 1957年4月24日、東京日比谷の宝塚劇場で初代スカイラインの発表会がショー形式で行なわれ、作曲家・團伊玖磨による「スカイラインの歌」の演出で、華々しく晴れやかな新車発表会となった。伊玖磨は富士精密の当時の社長・団伊能の息子である。

 スカイラインの登場でプリンス自動車は、困難な技術に挑戦し、トヨタや日産などの競合メーカーよりも進んだ機構・システム開発に成功した、先取の飛行機屋らしい技術追求による先進的なクルマとしてマニアに高く評価される。ただ、企業経営という側面でみると、一歩間違えれば危険な領域に脚を突っ込んでしまう可能性もあった。石橋を叩いても渡らないトヨタとは対照的だった。別項で後述するが、危険な日は、10年も経たずにやって来る。

 1960年2月にマイナーチェンジを受けたスカイラインは、国産車で初となる4灯式ヘッドランプを採用、高級感をより前面に打ち出す。

 同時にエンジンの改良も進められた。FA4A-30型は1959年10月に改良されたFA4A-40型(後に社名を正式に富士精密からプリンス自動車に改称したため、GA4型に改称)は、最高出力70ps/4800rpm、最大トルク11.5kg.m/3600rpmを発揮して、1.5リッターエンジンとして世界的にもトップクラスの性能となった。これによりスカイラインの最高速度は5km/hアップ、130km/hに引き上げられた。

 その頃、国内の自動車業界は揺れていた。自動車の貿易自由化が目前に迫っていたのだ。自動車各社は、自由化までに生産体制を整え、国際競争力を付けなければならないという課題を背負っていた。プリンス自動車はそれまで、自動車事業、航空機事業、精密機械事業の3本柱の体制で運営してきたが、1957年のスカイラインの発売で大きくなった自動車事業部が、1959年に大幅に強化された。同時に月産2000台体制とする第4次合理化計画を策定した。

 その計画の大きなポイントは新工場建設にあった。後のプリンスの生産拠点となる村山工場だ。計画実行にあたって、社内抗争もあったと記録に残るものの、1961年3月に取得した村山の40万坪の土地で工場建設が始まった。1962年10月に第1期工事が終わり月産2000台の工場でスカイラインよりも大型で高級なグロリアが生産された。

 その工場に画期的な施設が誕生する。1963年に完成した村山工場テストコースだ。これによって、後のスカイライン2000GTやレーシングカーR380といった高速高性能車のテストができる体制が整うのである。完成当時は一周4.29kmで最高時速160km/hの連続走行が可能な設計となっていた。

 同じころ、プリンス自動車は画期的なスポーツクーペとそれをベースにしたコンバーティブル「スカイライン・スポーツ」(BLRA-3型)を開発。プロトタイプが1960年11月の第42回トリノ・ショーで発表となった。イタリアの名門カロッツェリアであるミケロッティがデザインしたボディを、スカイラインのシャシーに架装したスポーツモデルだ。

 同車は1961年に社内にスポーツ課を新設してイタリアから板金職人を招聘、内製化の指導を受けて完成した。翌年4月に完成したクーペは全長×全幅×全高4650×1695×1385mm、ホイールベース2535mmの当時としては大型の流麗なスポーツクーペだった。

 搭載エンジンはGA4型を排気量アップしたGB4型で、1862cc・4気筒で94ps/4800rpm、15.6kg.m/3600rpmを発揮した。完全ハンドメイドのボディのため価格はクーペ185.0万円、コンバーティブル195.0万円とスカイライン1900の2倍という高価格車で、記録ではクーペ35台、コンバーティブル25台がつくられ、販売台数は45台だったとされる。翌年には生産を終える。

 そして、先に述べた自動車貿易自由化対策が通産省(現・経産省)の主導で進められるという噂がながれ、プリンス経営陣はスカイラインとグロリアの2車種体制を強化するため第2世代へ移行させる。新村山工場で、小型のスカイライン、大型で豪華なグロリアをフル生産し、社運を切り拓く体制を組む。──敬称略──

第2世代のスカイライン2000GTとポルシェカレラ4に続く

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