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第2章 ラグジュアリースポーツ「117クーペ」と、いすゞの羊「フローリアン」++++ジウジアーロとフィリッポ・ザビーネ、伊ギア・デザインの競演++++

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 いすゞ自動車は先の大戦前、トラック&バスの専業メーカーだった。そのいすゞが、戦後大きくステアリングを切る。乗用車部門への進出を決めたのだ。

 1953年(昭和28年)、まず英国ルーツ社の大衆車だったクルマのノックダウン生産を開始、ヒルマン・ミンクスとして発売し、ある程度の成功を収めた詳細は別項を参照されたし。

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 そのヒルマン・ミンクス製造で得た乗用車製造技術&ノウハウを以て、1961年(昭和36年)に初の自社設計の中型セダン「ベレル」を発表した。さらに2年後の1963年、ヒルマン・ミンクスの後継として完全オリジナル設計の意欲作である小型セダン、新型「ベレット」をデビューさせた。

そのころ主流となっていた、トヨタ・コロナ、日産ブルーバードに対抗すべく開発したクルマだった。

 ところが、革新的なスタイリングと高度なメカニズムを併せ持った小型社ベレットの登場で、それまでの上級車種だったはずのベレルが一気に陳腐化する。結果、いすゞは新しい上級車種の開発に迫られる。その開発がスタートしたのは1964年、東京オリンピックが開催され、首都高速の開通や名神高速道路の開通など、まさにモータリーゼーション新時代に突入した時期だ。

上級セダン「117セダン」から派生するスポーツクーペ

 登場した上級セダンがイタリア・カロッテェリア「ギア」のフィリッポ・ザビーネがデザインした新型「フローリアン」で、1966年の東京モーターショーで「いすゞ・117セダン」(市販車名フローリアン)として参考出品・初公開したクルマだ。

 ベレル、ベレット、フローリアンといすゞは続けてオリジナル乗用車を発表するが、やはりトラックメーカーの印象は拭えず、先行するトヨタ、日産に較べて不利な立場にあった。

 そこで、いすゞは商用車メーカーの印象を払拭すべく、上級セダンのフローリアンの開発と同時に、イメージリーダーたる高級スポーツクーペの開発も進めていた。

 1965年にクーペのデザインも「ギア」に依頼する。そのクーペのデザインを担当することになったのが、ベルトーネからギアに移籍したばかりのデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロだった。

 そして出来上がったクルマが1966年のジュネーブショーに出展された「ギア・いすゞ117スポーツ」プロトタイプである。このプロトタイプは、7月に開催されたイタリア・アラシアーノ・コンクール・ド・エレガンスで名誉大賞を受賞。デザインの優秀さを証明してみせた。そして、ショーの評判を受け、いすゞ首脳陣は市販車開発を決める。翌1967年、生産化に向けた幾つかの変更をギアに依頼、東京モーターショーで公開となったのが「117スポーツ」量産型プロトタイプだった。

伊カロッツエリアのベルトーネからギアに移籍したデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロが画を描き、1966年のジュネーブショーに出展された「117クーペ」プロトタイプ

 その後、量産に向けて細部の詰めが行なわれ、1年後の1968年10月にようやく市販車を発表、12月から正式に発売となった。PA90型「いすゞ・117クーペ」の登場である。

 大きなグリーンハウスに細いピラー、半分だけヘアライン仕上げが施されたドリップモール兼用のステンレス製ウインドウガーニッシュ、リアウィンドウに被さるように閉じるトランクリッドなど、その後の各社車両のデザインに活かされる、細部の処理も美しいクルマに仕上がっていた。

ほぼハンドメイドだった初号機「117クーペ」、エンジンはいすゞ初のDOHC

 市販にあたって、いすゞは117クーペの“高品質”を最大のセールスポイントとしてアピール。全長×全幅×全高4,280×1,600×1,320mmの4座クーペのボディは、繊細なラインと綺麗な面構成による造形で、美しいデザインを忠実に実現するために、ほとんどがハンドメイドとなっていた。

 インテリアも同様に手作りで、欧州製グランツーリスモのようなコクピット、ダッシュボードには本物の楠が貼られ、スイッチのノブは真鍮の削り出しを用いていた。丸形7連メーターがドライバーに向き合い、ステアリングホイールのリムとシフトノブは、ウォールナット製となるなど贅を尽くした内装だった。

市販車には、いすゞ初の1.6リッター直列4気筒DOHCエンジン「G161W型」を搭載、最高出力120ps/6400rpm、最大トルク14.5kg.m/5000rpmを発揮した

 搭載したパワーユニットは、後にベレット・クーペGTRにも搭載となったボア×ストローク82.0×75.0mmのショートストロークの直列4気筒エンジンにアルミ合金製ツインカムヘッドが載せられた、1.6リッター直列4気筒DOHCエンジン「G161W型」で、2連ソレックス40PPHキャブレターが燃料を供給。最高出力120ps/6,400rpm、最大トルク14.5kg.m/5,000rpmを発揮。4速フロアシフトのマニュアルトランスミッションと組み合わされて、車両重量1,050kgの流麗な4座クーペを最高時速200km/hまで引き上げた。

 搭載エンジン型式記号の意味は、Gはガソリンエンジン、16は1.6リッター、1は開発番号で1番目に開発されたこと、Wはダブルオーバーヘッドカムシャフト(DOHC)をそれぞれ表す。また、ツインカムエンジン開発には、エンジニアだけではなくデザイナーが加わったとされ、見た目のも極めて美しいエンジンに仕上がった。

 シャシーは完全にフローリアンと共通で、2,500mmという当時のスポーツクーペとしては、かなり長めのホイールベースも同じ。サスペンションも共通で、前ダブルウィッシュボーンコイル、後半楕円リーフリジッドの当時としてコンベンショナルな仕様だった。

 ただし、4座スポーツ・グランドツーリスモとして相応しいハンドリング性能を得るためのチューニングは徹底して実施された。なかでもフロントのダンパーは国産車初のガス封入式を採用。リアサスにはスタビライザーが追加された。制動力も強化され、フロントがディスクブレーキ、リアがアルフィンドラムという構成だった。

GT-Rを超える高価格の高級スポーツクーペ「117」

 まだ、スペシャリティカーというカテゴリーの確固たる概念が無かった当時、高級路線で突き進んだ117クーペはモノグレードで、デビュー時の価格は172.0万円と、同社ベレットGTの倍となってしまい、翌年日産からデビューするスカイラインGT-Rの160.0万円を上回り、月産生産台数は30台から50台が限界だったと伝えられる。

 1970年、新しいバリエーションとしてECと1800がラインアップする。ECはDOHCエンジンのソレックス2連装に換えて、国産車初の電子制御燃料噴射装置を採用。アウトプットが130ps/15.0kg.mに向上した。

ビューから10年間、1台も廃車とならなかったという稀な記録を持つ「117クーペ」、写真は後期型で国産車初の電子制御燃料噴射装置を採用し、アウトプットが130ps/15.0kg.mに向上した「EC」グレード。後期型はフロントバンパー下にウインカーが移設された。117クーペは都合1968年から1981年まで長期間生産されたにもかかわらず、総生産台数は僅かに8万6,192台

 一方の1800は、排気量を1.8リッターに拡大したG180型のOHCエンジン+ツインキャブ仕様を搭載。出力は115psだったものの、トルクはDOHC版を上回る15.5kg.mと余裕のある走りを披露した。次いで1971年には、1800をベースにシングルキャブ仕様とした廉価版1800Nを追加。同年、米ビッグスリーの一角であるGMといすゞが提携関係となる。その成果か、1973年から117クーペは、量産化に対応した再設計が実施された。

その後、同車は改良やバリエーションの追加、マイナーチェンジを繰り返しながら、美しいデザインはそのままに、1981年5月まで生産された。117クーペは、デビューから10年間、1台も廃車とならなかったという稀な記録を持ち、長期間生産されたにもかかわらず総生産台数は、わずかに8万6,192台に過ぎない。今なお旧車愛好家の人気は高く、多くのクルマが保存・維持されている。

 117クーペの影に隠れた存在のフローリアンは、1966年の東京モーターショーで「いすゞ・117セダン」として登場したというのは前述のとおり。翌1967年に発売され、ベレットGTのいすゞ“狼派”に対して“羊派”のニックネームが与えられ、三菱自の「デボネア」とともに“走るシーラカンス”と揶揄されながら、1983年発売の「いすゞ・アスカ」に道を譲るまで15年間生産された。

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