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先の大戦前、いすゞ自動車はトラック&バスの大型商用車を製造するヂーゼル自動車工業を名乗る大型車専業メーカーだった。1949年(昭和24年)にいすゞ自動車に改称、大胆な経営戦略の転換を指し示す。乗用車製造へ進出するという決定を下したのだ。
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そのいすゞは、1953年から英国ルーツ社と技術提携して大衆車ヒルマン・ミンクスのノックダウン生産を開始。2世代のヒルマン生産で、乗用車製造のノウハウを蓄積した。その後、いすゞは1961年(昭和36年)、同社初のオリジナル中型セダン「ベレル」を発表した。
いすゞ・ベレルは1.5&2.0リッターのガソリンエンジンと2.0リッターディーゼルのいずれも直列4気筒という3タイプのパワーユニットを積んだセダンだ。シャシー回りはヒルマンを応用し、エンジンはいすゞのトラック技術を利用、新たに設計したボディと組み合わせたクルマだった。全長×全幅×全高4,485×1,690×1,500mm、ホイールベース2,530mmと大柄で6人乗り、やや無骨なボディを持ったベレルは、ライバルのトヨタ・クラウンや日産セドリック、プリンス・グロリアがどんどんスタイリッシュに変身するなか、商業的には成功とは云えぬまま、1967年(昭和42年)まで生産された。
■画期的な小型車「ベレット」誕生
ところがベレルを発表した2年後の1963年11月、いすゞは画期的と云える小型車、新型「ベレット」を発売する。
いすゞ・ベレットは発売の前月、1963年10月に東京・晴海で開催された「第10回全日本自動車ショー」で、いすゞ・ブースに展示された小型セダンだ。1.5リッターのガソリン車と1.8リッター・ディーゼル車が用意され、それぞれスタンダードとデラックスの2グレード構成というラインアップだった。ショーではベレットのスポーティバージョンとしてクーペ1500GTも並んでおり、いすゞ・ファンが熱い視線を贈っていた。
セダンのボディサイズは全長×全幅×全高4,090×1,510×1,390mm、ホイールベース2,350mmの小型ファミリーセダンではあるが、欧州的で斬新なスタイリング、前ウイッシュボーン・コイルの独立、後スイングアクスルでスタビライザーを兼ねた横置きしたリーフスプリングを組み合わせた独立式サスペンション、4速マニュアルのフロアシフトなど最新メカを採用する当時の国産車では稀なスポーティセダンだった。
搭載した1.5リッターの直列4気筒OHVガソリンエンジンは、最高出力が63ps/5,000rpm、最大トルクが11.2kg,m/1,800rpmというスペックを持ち、低回転での扱いやすさが好評だった。後に廉価版の1.3リッターガソリンを積んだ2ドアセダンも追加される。また、1966年にはトリッキーなハンドリングのリア独立懸架を嫌う顧客層に合わせてリアサスをリーフリジットとした「Bタイプ」も追加設定された。
■ベレットのクーペバージョン「1600GT」の登場
このコンパクトなセダンは、広くクリーンなグラスエリアなど斬新なスタイリングだと評価されたものの、販売網や宣伝力に優るトヨタ・コロナや日産ブルーバードに遅れをとっていた。良心的な技術が詰まった小型車という専門家の評価を受けたものの、かつてトヨタ、日産と並ぶ“御三家”のなかで、いすゞだけが取り残された恰好となっていた。
その大きな要因はブランドのイメージリーダーとなるはずだったベレルの不振にあるのは明白だった。ただ、世間では「ベレット不振の原因は、クルマ好きはショーに出品されていた“クーペGT”を待っている」からと噂になっていたほど、クーペGTは魅力的だった。
セダンのデビューに遅れること半年、1964年4月、クーペのベレット1,600GTがデビューする。ベレット1,600GTは、日本車で初めて「グランツーリスモ」を名乗り、ショーモデルを超える魅力溢れるスペックでデビューした。
当時のカタログには、直列4気筒OHVのG160型エンジンは、ボア×ストローク83.0×73.0mm、1579ccのショートストロークタイプ。9.3と高めの圧縮比に2連装したSUキャブレターによって88ps/5,400rpmの最高出力と12.5kg.m/4,200rpmの最大トルクを得ていた。最大トルクの発生回転がセダンの1,5リッター版とは比較にならない高回転型となって、組み合わせたフルシンクロ4速マニュアルトランスミションを介して、最高速度160km/h、0-400m加速18.3秒という性能を叩き出していた。
2ドアクーペのモノコックボディは、セダンよりも40mmも低い全長×全幅×全高,4005×1,495×1,350mm、ホイールベース2,350mmと非常にコンパクト。車両重量は940kgだった。このボディ&シャシーを支える足回りはセダンを踏襲した玄人受けする4輪独立懸架だった。国産初のグランツーリスモ、いすゞ製スペシャリティとも云えるクルマの誕生である。
ベレットGTは、デビューして半年後の9月に早くもマイナーチェンジを受ける。エクステリアはフロントデザインが大きく変化した。4灯式ヘッドライトを丸形2灯式に改め、バンパーに小型のフォグランプを配置。マフラーがシングルからツイン出しに変わった。また、フェンダーミラーが砲弾型のスポーティな「ベレGミラー」と呼ばれる形状となった。同時に、ブレーキは日本車としては初のディスクブレーキを前輪に採用した。
■どんどん強化されるGTのパワーユニット、遂にはDOHCエンジンが
1966年、2度目のマイナーチェンジが実施される。大きなポイントはパワーユニットの換装だ。それまでのG160型からG161型へ積み替えられる。G161型のボア×ストロークは82.0×75.0mmで、排気量は1,584ccに拡大したが、G160型との関連はない、まったくの新型OHVだった。そして、このエンジンのアウトプットは大きく向上、最高出力90ps/5,400rpm、最大トルク13.0kg.m/4,200rpmを発揮した。この結果、最高速度向上はないものの、0-400m加速は18.0秒に短縮した。
ベレットGTは1968年3月に再度マイナーチェンジを受ける。そして、翌1969年に搭載エンジンが、それまでのOHVからSOHCに進化する。
GTユニットのSOHC化と時を同じくして1969年9月、「ベレG」にとって最強モデルとなる1,600GTRが登場する。ボンネットの下に収められたエンジンは、前年にデビューした117クーペのために開発されたG161W型のDOHCユニットだ。G161W型の排気量はGTモデルのOHCと同じ1,584ccだが、圧縮比は遂に10.3まで高められた。そこに2基のソレックスキャブレターを搭載して、最高出力120ps/6,400rpm、最大トルク14.5kg.m/5,000rpmを得た。これによって、最高速は190km/hに達し、0-400m加速は16.6秒という俊足GTカーとなった。
結果、1963年にデビューしたベレットは、1973年まで生産された長寿モデルとなる。いすゞの公式資料によると、ベレットの総生産台数は17万0737台。うちGT系は1万7439台だった。しかし、ベレットGTの名は引き継がれることは無かった。