1969年5月、国内高速道の動脈となる東名高速道路が全線開通した。そのちょうど1年後の1970年5月、ベストセラーのトヨタ・カローラが2世代目に移行した。それまで、セダンをカローラと呼び、クーペをカローラ・スプリンターしていた車種構成をカローラとスプリンターの双子車として、カローラ店とトヨタオート店で扱う販売チャネル強化策を打ち出した。
国産ミリオンセラーとなったカローラは2代目KE-25型にフルモデルチェンジした1970年の年末には、本格的な高速モータリーゼーション時代を見据えて、トヨタは乗用車の高性能・多品種化を推し進める。モーターショーで発表していたコンセプトカー「EX-1」をそのままのカタチで世に送り出した新型「セリカ」と、中堅セダンとなる新型カリーナの投入である。トヨタはモデルのフルラインアップ化を果たす。
■ベストセラーのカローラ、その地位を盤石にすべく……
2代目カローラは初代に較べてやや大きく、そして内装・装備なども上級車並みに豪華に変身した。生まれ変わったカローラ2ドア/4ドアセダンは小型ファミリーカーとして十分以上の資質を持ったモデルだった。エクステリアデザインもサイドウインドウの三角窓を廃し、すっきりしたサイドビューとなり、ライバルの日産サニーよりもゆとりがあるモデルとして訴求した。
搭載エンジン・ラインアップはスタンダードな1.2リッターの3K型OHVと圧縮比を高めた3K-D型のほか、新開発で高性能版1.4リッターのT型OHVエンジンとそのツインキャブ版T-B型を用意していた。
カローラとスプリンターに設定された2ドアクーペには、1.4リッターのツインキャブ仕様エンジンT-B型、95ps/12.3kg.mを搭載した豪華装備の「SL」と、同エンジンで固めた足回りで走りをアピールした「SR」が用意された。が、スポーティグレードのラインアップとして、今ひとつ物足りない印象だったのは否めなかった。
物足りない理由は、1970年の国内自動車の大きなトレンドに隠れている。先に記したように東名高速道路が1969年に全面開通した。翌1970年9月には、日産がスポーツモデルの急先鋒GT-Rを4ドアセダン(150.0万円)からリアオーバーフェンダーを持った2ドアハードトップのGT-Rにスイッチした。同年、トヨタは初代セリカ1600GT(87.5万円)をリリースし、三菱はギャランGTO(112.5万円)を発売した。ホンダは軽自動車初のスペシャリティ、ホンダZ(GS:46.8万円)を発売して話題となった。当時、東洋工業と名乗っていたマツダは流麗なカペラ・ロータリー・クーペ(87.0万円)で高速時代に対応した。1970年は国産スポーツモデルが競って登場した時代だったのだ。そんな時代に、2代目トヨタ・カローラとスプリンターがデビューした。が、市場はファミリーカー「カローラ」にも決定的で魅力溢れるスポーツモデルを求めていた。
■熱い期待に対するトヨタの回答、「TE27レビン&トレノ」81.3万円
その期待に応えるトヨタの回答が1972年3月にベールを脱ぐ。2世代目のカローラ&スプリンターに追加された。「TE27型レビン&トレノ」(ニーナナ・レビン&トレノ)とマニアが呼称する初代カローラ・レビン&スプリンター・トレノだ、しかも価格は81.3万円だ。なお、書く尽くされたことだが、レビンは英語で“稲妻”であり、トレノはイタリア語で“雷鳴”を表す。ただし両車はラジエターグリルとテールランプ形状など僅かな違いしかない。でも、しかし、個人的にはトレノが洗練されてカッコ良かったと思う。
■搭載エンジンは名機「2T-G」
TE27型レビン&トレノに搭載されたエンジンは、前項で詳報した国産初のスペシャリティTA22型「初代セリカ」のためにヤマハ発動機と協働開発したボア×ストローク85.0×70.0mmのショートストロークタイプ1588cc・4気筒DOHCエンジンで、後に名機と呼ばれる2T-G型ユニットだ。2連装した気化器、ミクニ・ソレックスキャブレターがプレミアムガソリンを供給したそのエンジンは、圧縮比9.8から最高出力115ps/6400rpm、最大トルク14.5kg.m/5200rpmを発揮した。このひとクラス上のパワーユニットを強引とも云える方法で小さなカローラクーペのエンジンルームに押し込んだのだ。
組み合わせるトランスミッションもセリカ1600GTから移植した「T50型」で、リバースに入れるのにちょっとしたコツが要るフロアシフトの5速マニュアル。装着タイヤもマイナーチェンジして登場したセリカGTVに倣って、認可されたばかりの70%扁平175/70HR13サイズのラジアルタイヤが標準装備された。
■ポルシェをも凌駕するパワー・ウェイト・レシオ
前後ホイールハウスに後付け感たっぷりの迫力あるボルトオンしたオーバーフェンダーを備えたボディは、全長3945mm(トレノ:3955mm)×全幅1595mm×全高1335mmとセリカよりもひと回りコンパクトで、車重は855kg(トレノ:865kg)と現在の軽自動車並み。そのボディ&シャシーに、DOHC「2T-G」エンジンのパワー&トルクは当時、圧倒的で野蛮ともいえる衝撃的な動力性能を与えた。
カタログには、パワーウエイトレシオ7.43kg/ps、0-400m加速16.3秒、最高速度190km/hとされていた。これは、当時から世界のスポーツカーの代名詞となっていたポルシェ911の車重1080kg、パワー130ps、レシオ8.08kg/psを大きく上回っていたのである。このカローラ&スプリンターに与えられた“やんちゃでスパルタン”な性能がレビン&トレノの大きな魅力となった。
インテリアは専用のヘッドレスト一体型のスポーツシートと3本スポークのステアリング、ダッシュボードの6連メーターには油圧/油温計は備えていたが、ラジオや時計はオプション設定だったが、フットレストは標準とされ、走りに徹したモデルだった。そして、1975年にトヨタ車として初めて世界ラリー選手権(WRC)で優勝を飾り、国内でも全日本ラリー選手権などのコンペティションシーンにおいては、参加車両の半数以上がTE27型レビン&トレノで占められるなど、大活躍することになる。
■80年代まで続く、カローラ&スプリンターと2T-Gの蜜月
後年、いろいろ詮索好きなエンスージアストによって明らかにされるのだが、DOHCの2T-Gのベースエンジンであるカローラの1.4リッター車搭載のOHV「2T型」エンジンは、どうやらヤマハ発動機との協働によるDOHC化を前提に設計されていたらしいのだ。そのわけを挙げるなら、インテークとエキゾーストで長さの異なるプッシュロッドが独立したロッカーアームを駆動するクロスフロータイプ、燃焼室は半球型を採用。点火プラグも燃焼室の中央に配置。また、ピストンとシリンダーヘッドがアルミ製で、クランクシャフトがより高回転向きの5ベアリング支持だったなど、2T型の随所にDOHC化を前提とした細かな設計が見て取れる。
完成した2T-G型DOHCユニットはトヨタの商品戦略、なかでも小型の“GT”と呼ばれるスポーツモデルのジャンルでは他メーカーの追随を許さない重要な商品となった。その後もレビン&トレノの各シリーズ歴代スポーツグレードに搭載され、その生産台数を伸ばしていく。しかし、その後に訪れた排気ガス規制の波に飲み込まれて一時姿を消す。
しかし、1978年にトヨタの意地が実る。電子制御燃料噴射装置「EFI」をもって2T-GEUとして復活する。4世代目のカローラシリーズでは、レビン&トレノのほかに2T-GEU型エンジン搭載のセダンGTなども発売されるなど、トヨタ製の数多くの小型FRスポーツ車に搭載された。
トヨタ製テンロクの名機、DOHC「2T-G」は、1983年5月のAE86型レビン&トレノに載ったコンパクトで本格派の4A-G型4バルブツインカムの登場でステージを去る。2T-Gは13年間で約30万基が生産され、トヨタ・テンロクスポーツに搭載された。
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