1968年4月に米国市場に輸出されたカローラは、好評を博し急速に販売台数を伸ばしていった。トヨタは、コロナ、カローラの米国販売増加に対応して、販売、サービス体制を強化するため、1968年9月に米国トヨタへの倍額増資を決定し、資本金500万ドルとなった。
コロナから本格化したトヨタ車の対米輸出は伸び続け、1968年にはコロナとカローラで9万5000台、1969年には15万台に達した。これに伴い、トヨタ車の米国における輸入乗用車のランキングも、1966年の第8位から1968年には第3位へ、1969年には独フォルクスワーゲンに次ぐ第2位へと躍進した。
いっぽう、日本国内では1969年5月26日、国内高速道路網の基幹動脈となる東名高速道路・大井松田~御殿場間の箱根越え路線が遂につながり、全線開通した。1965年に開通していた名神高速道路と合わせて、本格的な高速モータリーゼーション時代を迎えたわけだ。そして、国産車の高性能・多品種化が急速に進む。
1960年代、日本でも自家用車のある生活が根付きはじめていた。トヨタは新車種としてカローラ、そしてコロナ・マークⅡを市場に投入。パブリカ、カローラ、コロナ、マークⅡ、クラウンというトヨタブランドのセダン・ヒエラルキーが構築されつつあった。そしてセダンフルライン化を完成させることを目論んで、カローラとコロナの間を埋める新型セダン「カリーナ」を投入する。
■ふつうのセダンでは満足できない顧客に向けて
そのいっぽうでトヨタは、ふつうのセダンでは満足できない“スポーティでお洒落なクルマ”を求める自動車ファンのニーズを敏感に掴んでいた。そんな期待に応える恰好でトヨタは、1969年10月、東京・晴海で開催された第16回東京モーターショーで「EX-1コンセプト」を発表。国産初の本格スペシャリティカー「トヨタ・セリカ」だった。市販車は1970年12月にデビューする。
それが、TA20系の初代「トヨタ・セリカ」である。そのセリカは60年代にデビューし、米国で“ポニーカー”の愛称で親しまれたフォード・マスタングのマーケティング戦略に倣って企画したモデルだ。新型小型セダン「カリーナ」と車台を含め、エンジンやミッションなどのパワートレーンを共有して価格を抑えて開発したスペシャリティモデルである。そして、ショーモデル「EX-1コンセプト」を受け継いだ2ドアクーペ「セリカ」の斬新なスタイルは拍手を持って迎えられ、大ヒットする。
セリカは、初代フォード・マスタングが採用していた「フルチョイス・システム」を導入。エンジンやトランスミッション、インテリアやその他オプションを組み合わせ、オーダーメイド「セリカ」が構築できるというシステムだ。しかし、ユーザーの理解が追いつかず、十分に機能したとは言い難かった、というのが本当のところだった。
■周到なマーケティングから和製ポニーカー、クーペを目指して
ところでパーソナルカーとしてのクーペという車型の地位は、国柄によって大きく異なるようだ。長い間貴族階級が社会支配してきた欧州各国においてクーペは、裕福層が乗り回す、スポーティで2座の贅沢なクルマとしての色彩が濃い。そもそもクーペという呼称そのものが、“個室”つまり“コンパートメント”に由来する名詞で、貴族が自分で操って趣味で遠乗りを愉しむための、“ふたり乗りの馬車”から派生した。
いっぽうで自動車が早くから大衆化した米国のクーペの立ち位置は、若者の身近なクルマとして広まった。初代マスタングが“ポニーカー”と呼ばれた理由が、北米流クーペの由来を物語る。マスタングはポニーなのだ。ポニーとは、比較的裕福な牧場の子弟に、乗馬練習用として買い与えた小型の馬だ。ポニーカーは60年代に米国経済を牽引する新世代ホワイトカラーの裕福な親が子どもに買い与える、自動車運転を練習するための小洒落たクルマの愛称となったのだ。
日本の自動車メーカーでも1960年代にトヨタ2000GTやマツダ・コスモスポーツなどが欧州的な高級クーペを送り出した。が、高価で贅沢なそれらクーペに量販・量産は見込めるはずもなかった。
そこでトヨタは本格化するモータリーゼーションを睨んで、北米流クーペの商品企画に乗り出したのだ。セリカである。
■70年代のトヨタスポーツを支えた、ヤマハと協働が生んだ「2T-G」
デビュー当初、セリカには4種のパワーユニットが用意された。カローラの上級版が搭載した1407cc・OHVのT型エンジン、その拡大版1588cc・OHVの2T型エンジン、ツインキャブ仕様の2T-B型で、ここまではカリーナと共通。そして、最上級のグレードの1600GT(TA22型)には、2T型をベースにヤマハ発動機と協働で開発したDOHC化した1588cc・直列4気筒DOHCエンジンの2T-G型が載った。そして2T-G型DOHCエンジンこそ、トヨタが新時代の幕開けを飾る新型スポーティクーペ「セリカ」のために用意した“特別な”エンジンだった。
その2T-G型DOHCユニットは、ミクニソレックス・ツインキャブレターを装着したボア×ストローク85×70mmのショートストローク型・1588cc直列4気筒で、115ps/6400rpmの最高出力と14.5kg.m/5200rpmの最大トルクを発揮した。組み合わせたトランスミッションは、ツーリングカーレース活動を目指して開発された「トヨタ1600GT 5」以来となるスポーティなフロアシフトの5速マニュアルだった。
そのセリカ1600GTは、豪華装備も自慢だった。スポーティなバケット形状シート、速度計と回転計をメインに丸形の油圧計・電流計/水温計/燃料系が並んだ5眼メーターを備え、パワーウィンドウ、FMラジオなどが装備され、ラインアップなかでもっとも高価なグレードにもかかわらず、シリーズ中で最量販グレードとなる。同じ年にデビューした2代目カローラ・セダンの廉価版が43.85万円だった時代に、セリカGTの価格は約2倍の87.5万円だった。1972年のマイナーチェンジで1600GTのパワーウィンドウなどの装備を省略して簡略化・軽量化を図り、専用のハードサスや185/70HR13サイズのラジアルタイヤで足回りを固め、走りに徹したグレードであるGTVを追加している。
その後、セリカは1973年4月に、追加車種としてテールゲートを備えた「セリカ・リフトバック(LB)」を追加。同時に、2リッター4気筒DOHCエンジンの18R-G型を搭載するセリカLB2000GTが登場する。このエンジンは当時クラス最強と云われ、最高出力145ps/6400rpm、最大トルク18.0kg.m/5200rpmを発生し、当時として国内トップクラスの性能を誇った。そして、最上級グレードのセリカLB2000GTも大ヒットする。
トヨタ製1.6リッター直列4気筒DOHCの2T-Gは、ツインキャブ仕様でスタートし、後年はトヨタ独自の電子制御燃料噴射装置EFIに換装しながら年を追う毎に厳しくなる排気ガス規制をクリア。
1982年デビューの新世代4バルブツインカム「4A-GEU型DOHC16バルブ」登場まで、トヨタ・スポーツの主力エンジンだった。初代セリカのために作られたヤマハ×トヨタ協働のツインカム2T-G型エンジンは、70年代の“TOYOTA SPORT”を支える国産テンロク直4・DOHCの名機となった。