1990年、絶頂期のマツダが販売5チャネル化を進め、ユーノス店のフラッグシップとして開発、量産車として世界初の3ローターエンジン搭載の大型高級クーペが登場した。派手なデビューにも拘わらず、あまりに燃費性能が悪く、バブル崩壊後の“失われた20年”の発端とも云える、1995年に消え去った名作が、この美しきユーノス・コスモだ。
世界で唯一、量産車搭載に成功したマツダのロータリーエンジン(RE)の歴史は、1967年4月に東洋工業(現:マツダ)が発売した2座スポーツクーペ、コスモ・スポーツから始まった。世界初のREを搭載した“量産車”だ。正確を期すなら、世界で初めて1964年に市販されたロータリーエンジン搭載車は、ドイツの旧NSUヴァンケル社(現:アウディ)のヴァンケル・スパイダーだ。シングルローターのエンジンを搭載したヴァンケルは、未完成のまま“ごく僅かだけ”市場に出ただけだった。故に、公式に“世界初の量産型RE搭載車”は、コスモ・スポーツなのである。
■ロータリーエンジンの市販車をデビューさせたマツダ
コスモ・スポーツのプロトタイプは、1964年の第11回東京モーターショーで展示された。搭載エンジンは400cc×2ローターで70ps/6000rpmというスペックだった。翌1965年の第12回東京モーターショーでは最終生産型のコスモスポーツが展示され夢が広がった。
初代コスモと云えるこの市販型に搭載された10A型エンジンは、5つのハウジングで構成されており、量産規模の小さなコスモ・スポーツのために、2基のローターハウジングまでを含んで総アルミニウム合金製であり、そこに炭素鋼を溶射した高価で贅沢な設計だった。排気量は491cc×2ローターが搭載され、9.4の高圧縮比とツインプラグによって110ps/7000rpm、13.3kg.m/3500rpmの出力&トルクを発揮した。
コスモ・スポーツは、1967年6月、東京・日本橋の高島屋で発表会が行なわれ、前期型(L10A型)が発売初年の1967年に343台販売され、1972年の後期型(L10B型)の最終販売車までの累計で1176台が生産・販売された。その後、コスモは絶版車となり、再デビューは1975年、コスモAPとして登場する。
この2代目となるコスモAPは、ピュアスポーツだった初代とは異なり、北米市場に向けたスペシャリティクーペで、12A型および13B型と排気量の異なる2種のRE搭載車のほかに2リッターのレシプロエンジン車もラインアップした。
1981年にコスモは、マツダの中型セダン、ルーチェと姉妹車となり、2ドアハードトップに、4ドアセダンまでもラインアップするコンセプト不明なモデルとなった。
■バブルの申し子と云われる4代目「ユーノス・コスモ」登場
そして意味不明なモデルの立ち位置を払拭すべく、1990年4月に本稿のテーマ、3ローターのRE搭載車「ユーノス・コスモ」がバブル景気の波に乗って華々しく登場する。本来のREスペシャリティの姿に戻って、プレミアム販売チャネル“ユーノス”の旗艦となる豪華な4座クーペに生まれ変わった。ロングノーズ&ショートデッキの伝統的な2ドアクーペフォルムは、マツダの歴代コスモと同じだ。が、ボディは優雅で大きく、全長4815mm×全幅1795mm×全高1305mm、ホイールベース2750mmと大柄で、なかでも1.8mに達しようかという全幅は、当時の国産車のなかでもっとも広く、低い全高との相乗効果で、いかにも高級車然とした独特の印象を見る者に与えた。
■搭載ユニットは2種のロータリーエンジン
フロントミッドシップに搭載し後輪を駆動したロータリーエンジンは2種。ひとつは何度も述べている最上級グレードに搭載した世界初の3ローターエンジン。20B-REW型と呼ぶキャパシティ654cc×3のロータリーエンジンにシーケンシャル・ツインターボを装着して、最高出力280ps/6500rpm、最大トルク41.0kg.m/3000rpmを叩き出し、「レシプロエンジンのV型12気筒エンジンに匹敵するスムーズなエンジン」と評価された。
もう1基のREは、マツダREの定番とも云えるRX-7と同じ13B型にシーケンシャル・ツインターボを組み合わせた13B-REW型・654cc×2ローターの230ps/6500rpm、30.0kg.m/3500rpmである。
組み合わせたトランスミッションは大容量の4速オートマティックだけで、3ローターの20B-REW型搭載モデルには、リアにビスカスLSDが装備された。実際にドライブすると、AT車でありながら、20B-REWエンジンの大トルクがもたらす加速力は強烈で、唖然とさせられた記憶が残る。ユーノス・コスモにMT車が用意されなかったのは、当時のマツダには41.0kg.mの大トルクに耐えるクラッチが無かったということらしい。
それらを支えるサスペンションも凝った仕様で、フロントがダブルウイッシュボーン+コイル、リアがマルチリンク+コイルの4輪独立懸架とし、1610-1640kgのボディを正確に制御するストッピングパワーを担うブレーキは、前後ともベンチレーテッドディスクとなっていた。
■バブル崩壊と共に消え去った美しきクーペ
ユーノス・コスモは、そのインテリアの評価も高かったクルマだ。フラッグシップ・クーペにふさわしい高級感たっぷりの4座独立の本革シートや内張にウッドパネルが多用され、上級グレードには世界初のGPSカーナビゲーションシステムと云える「CCS」を搭載した。グレードはエレガントな「タイプE」とスポーティな「タイプS」を設定し、それぞれに2種のRE搭載車をラインアップした。
ユーノス・コスモは、製造過程で手作業の部分が多いコスト高な生産体制だったため、車両価格も高価だった。1989年に登場した、特別なスポーツ車といえるR32日産スカイラインGT-Rが445.0万円だった時代に、20Bの上級グレードが465万円で、2ローターの13Bでも370万円だった。そのためか「マツダのロータリーエンジン車が、好きでたまらない!」という一部の裕福でマニアックなREエンスージアスト以外には、縁遠い存在であったことは確かだった。
素晴らしくパワフルでスムーズな3ローターエンジンと、美しいフォルムのユーノス・コスモは1995年9月、あっけなく生産終了となってしまった。その理由は、「あまりに悪い燃費」と「高い車両価格」という2点に集約されるというのが一般的だ。事実、3ローター・ツインターボエンジンを積む「20B タイプE CCS」のカタログ燃費は6.1km/リッターとされていたが、実際の燃費は渋滞のなかを這いずり回るというような状況で2km/リッター前後まで落ち込むことも多かった。
その後、マツダ車ラインアップには「コスモ」を名乗るスペシャリティモデルはない。