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世界唯一、ロータリーエンジンを量産車に搭載 マツダのピュアスポーツFC型「RX-7」

かつての“東洋工業”、現在のマツダは、世界で唯一「ロータリーエンジン」の量産化に成功、1967年に市販ロードカーに搭載した。往復運動するピストンから回転運動を取り出すレシプロエンジンとは異なり、直接回転運動を得る夢の内燃機関、ロータリーエンジンは2座スポーツ「コスモ・スポーツ」に搭載して市場に躍り出た。

 その後、ロータリーエンジン(RE)は搭載車種を拡大し、REはマツダの代名詞となる。しかし、1973年の第1次オイルショックを機にヒステリックともいえるほど“省燃費”が叫ばれ、REの燃費の悪さを喧伝する声が挙がり、戦犯扱いされたREは、マツダ社内でも撤退論が出るほどの激しい批判に晒される。そして急速に商品力を失ってゆく。

 その悔しさをバネにマツダは、1978年3月に衝撃的な新型車を世に送り出す。サバンナRX-7(SA22C型)である。名前はかつてのセダン&クーペだったRX-3に冠された“サバンナ(Savanna)”だが、レイアウトは小型で高出力な「12A型」REをフロントミッドシップに搭載した、FRの2+2座のピュアスポーツだった。このコンパクトスポーツ、RX-7はターボチャージャー仕様などを追加し、グローバルなヒット車となった。

■FC3S型・サバンナ RX-7

 そのマツダ・ピュアスポーツがバブル景気前夜の1985年9月にフルモデルチェンジし、2代目(FC3S型)に生まれ変わった。新型の開発にあたりテーマとしたのは、「ドライバーが感性で乗る領域(感性を刺激する)をしっかり残したスポーツカー」だと記録に残る。

 ボディは多少大きくなり、2シーター風のプロポーションとなったが、狭いながら後席を持った2+2座のクーペレイアウトを引き継いだ。大きくなったように見えるボディ寸法は全長×全幅×全高4310×1690×1270mm、ホイールベース2430mm。先代比で25mm長く、15mm広いだけだった。しかしながら、FC3S型のエクステリアデザインは、ポルシェ944にあまりに似ているとされ、北米市場では“プアマンズ・ポルシェ”と揶揄された。

 先代と同様にフロントミッドに搭載したパワーユニットは573cc×2ローターの12A型から654cc×2ローターの13B型に排気量アップを果たし、当初からターボで武装していた。そのターボチャージャーは、電子制御ツインスクロール化+空冷式インタークーラーなどで強化され、車重わずか1280~1290kgのFC3S型に最高出力185ps/6500rpm、最大トルク25.0kg.m/3500rpmのアウトプットを与え運動性能を大きく向上させた、本格的なスポーツカーとなって登場したのだ。

■凝った機構のサスペンション

 しかし、エンジン、スタイリングとともに新型の注目ポイントは、当時マツダが持っていた技術のすべてを投入して開発した足回りにあった。フロントはロアアームをアルミ鍛造製Aアームとしたマクファーソンストラット式独立。リアはセミトレーリングアーム+マルチリンク式独立となった。ラックアンドピニオンとなったステアリングシステムには、最廉価版を除いて横G感応型パワーアシスト付きのステアリングが装着された。

 後輪側サスペンションにはトーコントロール・ハブが装着され、ステアリングの切り始めに後輪がトーアウトになり、この作用で車両をコーナーの内側に向け、旋回が開始されて横Gが大きくなるとトーインに転じて、後輪の接地性を高める設定で、いわゆる4輪操舵となっていた。

 ブレーキも大幅に強化され、組み合わせたホイール&タイヤ(205/60R15)の15インチ化に併せて4輪ともに大径のベンチレーテッドディスクとなり、完全に先代を超え、1ステージ以上アップグレードしていた。

 インテリアも大人のGTに成長を遂げた。低いヒップポイントのバケット形状のシートは、大げさなデザインではないが、基本形状で十分スポーツドライビングに対応することを目標にデザインされた。それに併せてドライバーに無真っ直ぐに向かう角度の立った3本スポークのステアリング、直立したシフトノブ、そして3つのペダルとフットレストのレイアウトバランスが抜群だった。

 視認性に重きを置いたメーターナセルの中央には、112mmの大径レブカウンターが据えられ、その右に93mm径の速度計が並ぶ。回転計の左には燃料計・油圧計・水温計・ブースト圧の4つの小径メーターがレイアウトされた。

■バブル最盛期に投入された「アンフィニ」シリーズ

 バブル景気が熱を帯びてきた1986年8月と1987年1月には、2シーター化され、BBS製鍛造アルミホイール、アルミ製ボンネットフード、MOMO製本革巻きステアリングなどを装着した特別限定車「∞(アンフィニ)」が、それぞれ限定300台発売された。

 この限定車シリーズ「アンフィニ」は、1988年1月(タイプⅡ)、1989年8月(タイプⅢ)、1990年6月(タイプⅣ)がリリースされ、それぞれ600台の限定で販売された。

 また1987年8月にはアンフィニとおなじホイールを履き、屋根を取り去りサイドウィンドウに三角窓を付けたカブリオレを追加している。この電動オープントップを持ったカブリオレは、ロータリーエンジン発売20周年を記念して発売され、フルオープンとなり2シーターとされた。

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 このオープンボディの製作によるノウハウは、89年にデビューする2座オープンのロードスター開発に活かされたという。

 1989年4月にマイナーチェンジを受け、リアコンビネーションランプを角型から丸型3灯にする変更、サスペンションの改良、前後バンパーおよびボディのモール形状、アルミホイールの軽量化、前席シート、インパネセンター、計器類のデザイン等が変更された。

 パワーユニットもターボタービンの改良などにより、最高出力を205psに、最大トルクを27.5kg.mに向上させた。

 なお、1991年12月に新型車RX-7のFD型登場後も、カブリオレだけはFC3型が継続販売され、生産終了直前の1992年8月、生産終了記念車「ファイナルバージョン」が限定150台だけ販売された。これを以て「サバンナ」の名称に終止符を打つ。

 FC3型が次期型のFD型へスイッチする直前の1991年6月、マツダはロータリーエンジン搭載のレースマシン「787B」で、ル・マン24時間レース総合優勝を果たす。

■FD3S型「アンフォニRX-7」登場

 1991年10月、マツダREスポーツ「RX-7」がフルモデルチェンジしてFD3S型に生まれ変わる。発売は同年12月からだ。

 1991年はロータリースポーツにとって記念すべき年だった。バブル景気に乗ってマツダは、潤沢な資金を投じてモータースポーツに傾倒し、FD3S型発売の半年ほど前の夏、ロータリーエンジン搭載車で「ル・マン24時間レース」で総合優勝を飾ったのだ。

 10月、意気揚々と発表会に臨んだ「FD3S型」には“サバンナ”の冠名が無く、新販売チャネル「アンフィニ」の名が冠される。

 ピュアスポーツらしく変貌したボディは全長4295mm×全幅1760mm×全高1230mm、ホイールベース2425mmと、低く広い3ナンバーボディとなった。フロントミッドに搭載したエンジンは搭載位置を先代比で50mm低められ、前席着座位置の50mm下げられ、ボンネット高も70mmも下がり、低い重心高を得た。

 搭載エンジンは当初から13B-REW型・654cc×2のツインローター・シーケンシャルツインターボとされ、レブリミットが8000rpm、出力&トルクは255ps/30.0kg.mを発揮した。サスペンションはアルミ鍛造アームのダブルウイッシュボーン式に進化する。

 FD3S型アンフォニRX-7は、最終的には最高出力280ps/6500rpm、最大トルク32.0kg.m/5000rpmを発揮する高出力&大トルクエンジンを搭載となったが、国内および北米でのスポーツカー需要低迷やターボ過給ロータリーエンジンの環境対応の難しさなどで、2002年8月に生産を終える。

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