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日本のサーキット変遷史Vo.2~富士スピードウェイ~

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富士スピードウェイといえば、日本を代表するサーキットの一つだ。モータースポーツファンにとっては、外すことのできないレースの聖地である。今回は、そんな富士スピードウェイの成り立ちや歴史、特徴的な「あの」バンクについて紹介しよう。

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ナスカー招致のために生み出されたサーキット

2021年の開催が予定されている東京オリンピック。富士スピードウェイは、その自転車競技の会場として選ばれている場所だ。首都圏からも近く、最新の国際レーシングコースと設備を備えている。

そんな富士スピードウェイの前身となったのは、1963年に設立された日本ナスカー株式会社。社名のナスカーとは、アメリカで開催されていたレースシリーズの名称であり、日本国内でもそのようなレースを開催しよう、というのが目的だった。

この60年代といえば、日本でモータリゼーションが到来したアツい時期。日産 S50系スカイラインGT(1964年)、トヨタ スポーツ800(1965年)、マツダ コスモスポーツ(1967年)など、今でも傑作と名高い車達が生み出されたのである。

同時に、自動車レースにも注目と人気が集まった年代でもある。1962年には鈴鹿サーキットがオープンし、翌年には国内初の本格レースである「第1回日本グランプリ」が開催された。そんな時代の背景もあり、計画された新しいサーキット計画。当初は、ナスカーで使われるオーバル(楕円)のコースが作られようとしていた。

しかし、建設予定地は富士山麓。アメリカのように、広大かつフラットな地形とは状況が全く異なる。もし作るとすれば、サーキットとして余りにも危険だという意見からナスカーの計画は白紙に戻され、ヨーロッパスタイルのサーキット建設が進められることとなる。

サーキット建設のため、150万坪にも達する広大な建設用地内で、2つの尾根を切り崩し、3つの谷を埋めたという。運ばれた土の量はおよそ300万立方メートル。現在では建設の許可が降りるかも怪しい大規模な工事となったのである。

そうして、およそ1年後の1965年11月にサーキットが完成。コース全長6キロ、後に数々の名勝負を生んだ「30度バンク」を備え、翌年の1966年1月よりオープンする運びとなった。

「魔」の30度バンク

富士スピードウェイといえば、30度バンク。30度バンクと言えば富士スピードウェイ。

今でもそう信じて疑わないファンは少なくない。

この30度バンクが実際にレースで使われていたのは、1965年~1974年の間およそ10年間。その10年の間、この「恐怖のバンク」は多くの名勝負を生んだ。世界でも屈指のメインストレートを疾走してきたマシンをほぼそのままの速度で30度のバンク角に突っ込ませる。

さらに、メインストレートの出口は下り坂であるため、減速するどころか加速してバンクに飛び込んでいくことになるのだ。

コースレイアウトに変更が加えられた現在のように、最終コーナーはタイトではなく超高速コーナー。目を覆うような事故が起こるのも無理はなかったのだ。

1966年5月開催の「第3回日本グランプリ」でベレットGTを駆る永井賢一氏が犠牲に。続く1973の「富士グランドチャンピオンレース」においてはシェブロンB32フォードの中野雅晴氏が、さらに翌年には接触事故に巻き込まれる形でシェブロンB32風戸裕氏と、ローラT292の鈴木誠一氏が亡くなっている。30度バンクはその危険さ故、1974年に閉鎖。現在に至るまでレースで使われたことはない。

しかし、朽ち果てかけていた30度バンクに、2005年整備の手が入れられた。その際に、保存されることが決まった30度バンクは、「30度バンクメモリアルパーク」として一般にも解放されている。

今となっては当時の面影を残すばかりの30度バンクであるが、当時の熱が冷めきれない往年のファンが訪れるようになっているという。

アウトでじっとこらえるドライバーと、インからどうにか潜り込もうとするドライバー。2つの思惑が10数センチの距離で火花を散らし続けるロングバトルに、当時の観客は思わず拳を握りしめていたに違いない。

※ ※ ※

その後、1982年には耐久レースとして高い人気を誇る「世界耐久選手権富士6時間レース」や、スーパーGTのルーツである「全日本ツーリングカー選手権」といったレースを開催してきた富士スピードウェイも、2000年にはトヨタの傘下に入ることになる。2003年末より営業を停止し、全面的な大改修工事が行われた。

舗装も全て剥がされ、レイアウトも刷新。設備も全て最新のものとなり、サーキットの最高基準であるグレード1に認定される最先端のサーキットへと生まれ変わったのである。

そして2007~2008年には1976年以来のF1を招致。

2018年には50年ぶりにスーパー耐久シリーズ第3戦 富士SUPER TEC24時間レースを開催。

古今東西、あらゆる年代のモータースポーツファンを虜にしてきた富士スピードウェイ。これからもアツい名勝負の数々で、我々を魅了してくれるに違いない。

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