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第3章 機は熟した、駆動方式の大転換 前輪駆動小型車への挑戦、その軌跡

引用:SUBARU History ヒストリー

 SUBARU 360、商用車サンバーで成功を収めた富士重工業にとって、諦めきれない思いが残るクルマがあった。小型自動車「P-1」だ。ほぼ最終生産モデルまで開発を終えたにもかかわらず潰えた計画だ。企業基盤を固めた富士重が、いよいよ小型車開発に乗り出す。

引用:SUBARU History ヒストリー

 SUBARU 360は最初の国内初の軽乗用車として一般ユーザーだけでなく、専門家などを含めた各方面から、大きな反響、高い評価を得た。これで四輪乗用車開発に自信を深めた富士重首脳は、次ぎに小型車開発へと目を向けはじめる。SUBARU 360の開発をまとめ、その成功で技術部長になっていた百瀬晋六が思うところも同じだった。

 1959年の暮れ、米カリフォルニア州にあった北米ラビットスクーター販売拠点であるアメリカン・ラビット社から富士重の役員へ、「カリフォルニア州で電気自動車の小型シティコミューター開発計画があり、その開発に協力してほしい」という旨の連絡が来たという。

 富士重役員から百瀬は、その「小型電気自動車への開発協力と、P-1を引き継ぐ新しい小型乗用車を開発して、中島飛行機を継ぐ富士重の技術力を示せ」との命をうける。

 百瀬は、電気自動車の開発コード「A-5」を進めるべくスタッフを招集した。残されたさまざまな文献によれば、コード「A-5」をその後の「SUBARU 1000」の開発番号としている場合が多い。が、そもそもはカリフォルニア州の規格に準拠した小型電気自動車の開発コードだったようだ。

 どうやら富士重としては、この電気自動車構想が、あわよくば小型車開発につなげたいとの意向を持っており、試作に入る準備をしたことが、開発コード混乱の発端のようだ。

 電気自動車の設計では今も昔も駆動エネルギーを蓄積する電源、バッテリーで悩まされる。当時はまだ鉛電池が主流でその大きく重い電池は、床下やトランクスペースを占拠せざるを得ない。プロペラシャフトやリアアクスル&デファレンシャルを設置するスペースが無くなる。FR方式駆動の採用は不可能だ。必然的で当然の帰結として駆動方式はFF方式に決まる。

 電動車の走行試験を行なうにも問題があった、バッテリーの電力が航続60km程度しか保たないのだ。これではテスト走行にならないとして、百瀬らは電動パワートレーンと同程度のガソリンエンジンを積んで耐久テストを行なうこととしたようだ。そこで相当するエンジンの検討に入った。

 百瀬の決断は早かった。電動パワートレーンに匹敵する前輪駆動用のエンジンは、ドライブシャフトとミッションを直接結合させるコンパクトな設計が必須。そのためには水平対向型エンジンしかないと判断した。当時でもこの形式のボクサーエンジンを積んだクルマはRR方式のポルシェ356やフォルクスワーゲン・タイプⅠしかない時代だ。ここでも連綿と培ってきた航空機エンジンの開発力が活きた。開発は三鷹製作所が担当した。

 電気自動車に流用する目的で開発した試作FF車「A-5」に載せたエンジンは当初、1000cc空冷水平対向4気筒だったが、騒音が酷かったとされる。そこで、正式にガソリンのFF車の試作車開発コード「63A型」車搭載にあたって水冷エンジンに改められた。63A型が本格的な「SUBARU 1000」の試作開発コードである。

 前輪駆動車「A-5」の大きな問題は、エンジンから伸びるドライブシャフトのジョイントだ。これが耐久テストに耐えられない。そこで注目したのが英国のモーリス・ミニのパーフィールド等速ジョイントだ。ところが同様の部品を発注するも富士重サプライヤーからは色よい返事がなかった。製造できないのだ。そして最終的に英国のハーテイスパイサー社とパーフィールド等速ジョイントと密かに提携を進めていた、NTN(当時の東洋ベアリング)と協働することとなった。

 協業によって試作品を英国ハーテイスパイサー本社から空輸したジョイントを耐久テスト車に搭載、テストに供したという。結果はきわめて良好だった。なお、その後、協働で開発しNTNが製造した等速ジョイント(DOJ:Double Offset Joint)は、その後の生産型「SUBARU 1000」に正式採用された。

 いっぽう、電気自動車の開発は、実験部隊での走行試験で上手く行かず、時期尚早として中止となった。が、その製作過程で得た技術は、富士重にとって決して小さくなかった。

 結果、小型車開発企画は、コード「63A型」のガソリンエンジンのFF車構想として正式に動き出す。構想でのボディは全長×全幅×全高3885×1460×1380mm、ホイールベース2400mm。5人乗りのFFによるセダンである。

 エンジン製作を実施するのは旧三鷹製作所で富士重三鷹技術部だ。その技術部ではすでに1963年6月の段階で、次期小型車計画を睨んだ水冷4ストローク水平対向4気筒エンジンが試作を終えていた。「EA-41X」と呼ばれた試作エンジンは大胆にもオールアルミ製エンジンで、鋳鉄製の直列気筒比で15%以上軽量化されていた。そして、796ccの排気量から34.5psを発揮していた。

 コード「63A型」開発正式決定を受けて、その試作エンジンをベースに排気量を923ccまで拡大した「EA-41Y型」エンジンが年末に完成。ベンチテストを経てから、試作車に載せて走行・耐久試験に入った。

 余談だが、当時国内にはアルミブロック、スチールライナー、銅製パッキンの3種の金属に対応できるクーラントなどは無く、独自に4万km無交換で使用できるロングライフクーラントの開発も行なわれた。また、冷却ファンの駆動はエンジンから得るのではなく、必要に応じて作動させられる電動ファンを採用、現在では当たり前の冷却システムを開発、初搭載した。

 1964年、63-A型第1次試作車ができ、ボクサーエンジンは977ccにまで拡大する。組み合わせたトランスミッションは、オーソドックスな4速マニュアルとした。

 エクステリアの造形は、SUBARU 360で組んだ佐々木達三をアドバイザーとして迎え、社内技術部で起こしたデザインだ。当時、ルノーR16が先鞭をつけたファーストバックスタイルが流行の兆しをみせ、63-A型にもセミファーストバックとして最新のシルエットが織り込まれた。ただし、すべての造形パーツは居住空間と運動性能を犠牲にしないのが鉄則で、ラジエターグリルも軽量化のためアルミ押し出し材とされた。

 試作車第1号車ができたちょうどその頃、百瀬の進言で建設が進められたテストコースが、群馬製作所内に完成した。1周1.6km、最大バンク角度48度の周回路をメインとした試験場だ。同じころ63-A型は「SUBARU 1000」として社内決定事項とされ、SUBARU 1000がテストコース初の試走車となった。そして、1965年初頭、SUBARU 1000の正式デビューは秋の東京モーターショーと正式に発表、デビューを目指してSUBARU 1000テスト車の試験と最終調整が進められた。

 ところが前述した、百瀬がこだわった前輪駆動の肝、等速ジョイントがなかなかできない。ホイール側のJointはNTN(東洋ベアリング)との協働でCVJが完成していた。残されたのがデフ側だった。ハーディスパイサー社と東洋ベアリング、富士重の懸命な作業でDOJができたのは、東京モーターショーの僅か1カ月前というタイミングだった。

 そして1995年10月富士重の理想を掲げて、いくつもの難題をクリアしたSUBARU 1000は、東京モーターショーのステージでベールを脱いだ。

 デビューした新型のボディサイズは全長×全幅×全高3930×1480×1390mm、ホイールベース2400mmとコンパクトだ。ボンネットの下には低い位置に水平対向エンジンが収まり、何とその上にスペアタイヤも鎮座していた。低重心エンジンの真骨頂といえるレイアウトだ。その代わり、リアのトランクは広大で小さなボディの荷室は楽にゴルフバッグを5個飲み込んで人々を驚かせた。

 FFレイアウトのおかげでプロペラシャフトやリアデフ、複雑なリアサスも無く室内も広い。その結果、車重は695kgとなった。現在の軽自動車よりも軽いのだ。

 搭載エンジンは「EA-52型」と呼ばれるボア×ストローク72.0×60.0mm、977ccのキャパシティの水冷水平対向4気筒OHVだ。そのフラット4のボクサーエンジンは最高出力55ps/6000rpm、最大トルク7.8kg.m/3200rpmのアウトプットを示した。そこから最高速度130km/h、0-400m加速は5名乗車で19.9秒と富士重は発表した。

 このSUBARU 1000が、富士重の象徴ともいわれた、技官・百瀬晋六が直接設計に携わった最後のモデルとなる。

──敬称略──

「SUBARU 1000の評価と次なるステップ」へと続く

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