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日本のサーキット変遷史Vo.4~筑波サーキット編~

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2020年、めでたく50周年を迎えた筑波サーキット。日本国内では、鈴鹿と富士に続く歴史あるサーキットだ。今回は、筑波サーキットがこれまで歩んできた時代の流れを振り返ってみる。

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モータースポーツ振興と普及の柱として

2011年に行われた公益法人制度改革によって、運営母体が一般財団法人日本オートスポーツセンターに移った筑波サーキットであるが、その始まりは1966年第1次佐藤内閣時代に当時の文部大臣と通算産業大臣の認可を発足した財団法人日本オートスポーツセンターであった。

この団体は、「モータースポーツの振興と普及」を掲げ、アマチュアモータースポーツファンの憩いの場となるサーキット建設を計画した。そして、計画されたのが筑波サーキットだったのである。

およそ2年に及ぶ建設工事は1970年に終了。茨城県下妻市に完成したサーキットは、総面積21万2,300平方メートル、全長2,000メートル以上という当時のFIA規格を満たすものであった。その後、同じ年の6月22日に筑波サーキットはオープン。「筑波サーキット」という名前の由来にはいくつか説があるが、付近のシンボルでもあった筑波山に由来し、覚えてもらいやすいからというのが通説である。

前述した通り、FIAの規格をも満たすような本格的なサーキットとしては鈴鹿サーキット(1962年オープン)、富士スピードウェイ(1966年オープン)に続く3番目のサーキットであり、さらに関東エリアでは初めてのサーキット開業となり、多くのモータースポーツファンやアマチュアレーサーの話題の中心となった。

耐久レースの源流を生み出す

1971年4月11日には、現在行われているN1レースの源流であり、筑波シリーズの前身「東京プロダクションレース」が初めて開催された。

モータースポーツは車両に改造を施して走るというのが一般的なイメージであったが、このレースに出走可能な車両は無改造、つまり市販されているまま純正状態の車両のみという現在行われているN1レースに繋がるレギュレーションを提示したのである。その結果、東京プロダクションレースは、高い評価を受けることとなった。

その後、70年代の後半になるとサーキット自体の安全性を向上させるため、コースの各所にクラッシュパッドを設置し、増加してきた観客数に対応するため観客席を増設するなどの改修が行われた。

設備の改修や増設は80年に入ってからも勧められ、今でも使用されているという医務室やドライーバーズサロン、更衣室や会議室を設置。ホームストレートとピットロードの間にもガードレールが建てられたのもこの頃である。

この年代に開催されたレースで忘れてはいけないのが、1985年に始まった「ナイター耐久レース」であろう。このレースは「夏の風物詩」とも呼ばれており、始めの頃はホームストレート前で盆踊りが行われるほど穏やかな雰囲気のレースであった。

当初は9時間であったナイター耐久は12時間に時間を増やし、最初のレースには41台が出走。1,300ccを境に上下2クラスに分けられており、大好評を博したこともあって翌年には90台ものエントリーがあったという。

N1レギュレーションを用いたナイター耐久レースの盛り上がりは、その後の1991年に初開催となった「N1耐久」や「スーパー耐久」に繋がっていくことになる。

ダンロップアーチの誕生とフォーミュラ・トヨタ開催

90年代になると、施設を改修された筑波サーキットには“PARK CIRCUIT TSUKUBA”というあだ名が付けられる。そして、現在でもアイコン的に親しまれている特徴的なダンロップアーチから先に、2輪車用のシケイン(減速のための構造物)が設置され、2輪と4輪それぞれでコース分けがなされたのもこの年だ。

そして、今でいう「スーパーGT」にも参戦するような名ドライバーを多く輩出した「フォーミュラ・トヨタ」が初めて開催されたのもこの年。

2000年になるとコースが大きく改修され、「コース2000」と「コース1000」という名称に改められた。この数字はコースの距離によるものであり、1周2,000メートルといえばコンパクトに思えるかもしれない。

しかし、そのレイアウトは絶妙なバランスとシンプルさ故にタイムを詰める腕が要求されることから、現在ではタイムアタックイベントが多数開催されている。

ちなみに、コース2000における総合ラップタイムのトップは、2016年12月4日にスーパーフォーミュラクラスで小林可夢偉選手が出した43.304秒だ。

※ ※ ※

タイムアタックイベントのみならず、新型車のテストや試乗の場としても知られている筑波サーキット。多くの人に長く愛され続ける理由は、関東エリア唯一のサーキットというだけではない。1970年のオープン当初からほとんど変わらないコースレイアウトのおかげで、データの比較検討に時間が掛からず、車両のセッティング変更も容易だ。そうした背景もあって、筑波サーキットはこれまで数多くの伝説的なレースや歴史的な名車と共に歩んできた。そして、それはこれからも変わらず、モータースポーツファンにとって身近で愛すべきサーキットしてあり続けていくのだろう。

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