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Y31シーマ バブルに湧いた時代があった…

今から約30年前、日本が熱狂的な好景気に湧いた時代があった。そう、バブル期である。

不動産の価格は青天井で、高級ブランド品が飛ぶように売れた。六本木のマハラジャには若者が詰めかけて朝まで踊り明かし、至る所で札束がビラのようにばら撒かれていた。

異常とも呼べる狂乱の時代は、自動車業界にも大きな影響を及ぼすことになる。その“ハイテンション”っぷりを最もよく表すのが「シーマ現象」という言葉の誕生だろう。

この「シーマ」とは、日産が1988年に製造・販売を手がけた初代Y31型シーマを指す。高級品を求める世相と、トヨタ クラウンへの対抗馬として誕生したシーマ。まさに、生まれるべくして生まれたモデルと言えるだろう。

引用:日産公式ページ

しかし、社会現象を引き起こすまでの存在となったのは、一重にエクステリアデザインの新鮮さを挙げるのが正しい。もちろん、上級グレードに搭載された3リッターV6のツインターボエンジンが発揮する驚異的な255馬力や、応接室のようなインテリアなども要素としては考えられるが、正直な所エクステリアデザインに比べればオマケ程度でしかない。

ハイソカー、今でいえばセレブカーになるのだろうか。その頂点に立つべくしてシーマには、日本初の3ナンバー専用のボディが与えられた。この3ナンバー専用ボディというのが一つのポイントになる。当時、日本国内での高級セダンといえば汎用的なボディを使いまわした似たり寄ったりな造形の物が多かった。

しかし、シーマは専用ボディを与えられたことでそれまであった“クルマのイメージ”すら覆してしまうほどのスタイリッシュさを放っていたのである。イタリア車を思わせる丸みを帯びた滑らかなスタイリングに、ピラーを取り払った4ドアのハードトップ、贅沢に使われたメッキパーツ。そして、ボンネットに輝くアカンサス。そのどれもが当時の人々の目には新鮮かつ強烈に映り、日産のディーラーに走らせる要因となったのである。

前述したように、初代シーマには5ナンバーにあたるグレードの設定はなかった。そのため、本体価格はベースグレードで300万円後半からのスタート。最上級グレードになれば500万円を超える価格設定となっていた。

セドリック/グロリアの価格がトップグレードでもシーマのベースグレードとほぼ同等だったのだから、ある意味強気の価格設定だったといえる。

高級車といえばベンツやBMW、つまり「ガイシャ」という時代に斬り込んだ初代シーマは、発売直後から文字通り飛ぶように売れた。しかも、売れスジは500万円を超える上級グレードだったという。

こんな逸話が残っている。シーマの購入者に対してどうして購入したのか?とアンケートを取った結果、「本体価格が高いから」と回答した人が最も多かったそうだ。

これが本当かどうかはさておき、当時は価格もプレミアムな高級セダンをキャッシュでポンと購入できる人々が大勢いたのだ。その結果、初代シーマはデビューしたその年に3万6000台を超えて販売されることとなった。

それから2代目へと代替わりするまでの約3年半で、初代シーマは12万9000台を売り上げる大ヒットモデルに登りつめたのだ。

技術の日産が、切り札として本気で作り上げたのが初代シーマだ。スペイン語で“頂上”、“完成”を名前に冠したモデルが颯爽と走る姿は、当時を知る多くの人の記憶に残っている。

そして、初代シーマのみが放つ本物の高級感は、時代が移り変わっても自動車史に刻まれ続けるはずだ。