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輸出専用車「スープラ」の名に統一して国内デビューを果たした“セリカXX”の後継

1970年に国産初のスペシャリティカーとして登場した初代「トヨタ・セリカ」が、1977年に2代目にフルモデルチェンジした。そしてマルチシリンダーを求める北米市場に対応するモデルとして直列6気筒エンジン搭載した輸出車「スープラ」が誕生。その後、日本では1986年登場のA70型で世界統一の「スープラ」を名乗ったGTだ。

初代セリカXXの上級モデルにはクラウンから移植した4M-EU型2.6リッター直列6気筒が搭載され、後期型A50型では5M-EU型2.8リッター直列6気筒エンジンに換装、後輪足回りが固定軸からセミトレーリングの独立式に進化した。

■エクスポート専用車名「スープラ」誕生

 1981年7月、4気筒セリカとともに「XX」(輸出車スープラ)もA60型にモデルチェンジする。先代が担った豪華GTというポジションは初代ソアラに譲り、A60型のスタイリングは先代から一転して直線基調のデザインとなりリトラクタブルヘッドライトを採用。俄然スポーティなクルマに生まれ変わる。ボディは拡大され全長4660mm×全幅1685mm×全高1315mmとなったが、ホイールベースは15mm短縮し、トレッドをプラス60mmとワイド化した。

 このA60型のトピックはエンジンで、初代ソアラから移植した5M-GEU型2.8リッター直列6気筒DOHCを搭載。その最高出力は170ps/5600rpm、最大トルク24.0kg.m/4400rpmを発揮した。2リッターバージョンも用意され、こちらは新開発1G-GU型直列6気筒SOHCで、82年2月に2リッターターボが、8月には2リッター直列6気筒DOHC24バルブ搭載の「2000GT」が加わる。いずれのエンジンもトランスミッションは5速MTと4速ATを組み合わせた。

 この時期、トヨタ車のステアリングシステムが大きく進化する。1978年に登場したトヨタのエントリーモデル、KP61型「スターレット1300」を皮切りにスポーティなラック・アンド・ピニオン式となる。そして、このA60型「XX」もこの新しいステアリングシステムにパワーアシスト付加して搭載した。加えて、上位グレードのブレーキは全輪ベンチレーテッドディスクにグレードアップしていた。

 なお、A60型系の開発に当たって関係が深かった英国ロータス・カーズの主宰者コーリン・チャップマンが足回りのチューニング&セッティングに加わったとされている。チャップマンはA60型のテレビCMにも登場していた。なお、A60型のアウター・ドアハンドルは、ロータス・エスプリに流用されていた。

■国内仕様車初の「スープラ」 A70型登場

 1985年8月、4気筒版セリカが世界ラリー選手権(WRC)参戦に向けフルタイム4WD車を上級グレードに据える大規模なフルモデルチェンジを実施。「XX」は1986年2月に輸出車と同名のスープラに生まれ変わる。つまりA70型、国内では初代スープラの誕生である。

[写真:Toyota Supra_1]

 初代スープラ登場の2週間前に同じトヨタのソアラがモデルチェンジして2代目に生まれ変わり、「最高級プレステージ・スペシャリティ」とアピール。対してスープラは「ハイパフォーマンス・スペシャリティ」を標榜し「トヨタ3000GT」のキャッチフレーズで登場した。

 ボディは先代同様2ドアに大きなリアゲートを持ったボディで、リトラクタブルヘッドライトのフロント部は先代の面影を残し、リアはCピラーをガラスで覆うヒドンピラーとする特徴的なファストバック・スタイルとなった。前身であるセリカXXが狙っていた市場をA70型スープラもメインマーケットに据え、ボディは先代XXに比べて滑らかな曲面構成となり、ロングノーズのスポーティルックを引き立てた。

■リアルスポーツを目指したA70型系

 ボディサイズは先代比、40mm短く、5mm広い、全長4620mm×全幅1690mm×全高1310mm、ホイールベースは先代に比べて20mm短縮、さらにソアラよりも75mm短い2595mmとして回頭性のアップを狙った。

[写真:Toyota Supra_2]

 A70型に搭載したエンジンは、2リッター6気筒1G-EU、そのツインカム1G-GEU、それをターボ化した1G-GTEU、そして最高出力230ps/5600rpm、最大トルク33.0kg.m/4000rpmを発揮した最上級の3リッター直列6気筒DOHCターボの7M-GTEU。組み合わせたトランスミッションは、5速MTと4速ATでソアラと同じだった。

 2代目ソアラと同時に開発が進められたA70型は、リアルスポーツを目指していて、4輪ダブルウイッシュボーン式サスペンションをはじめ、FRスポーツに求められるハンドリングと運動性能の追及には力が入っていた。メインマーケットの北米では日産フェアレディZの好敵手として人気を博した。

 途中、オープンエアモータリングが愉しめるタルガトップ風のエアロトップを追加しながら、88年にはマイナーチェンジを受けて、フロントマスクおよびテールライトのデザインを変更する。1G-GTEU、7M-GTEUはプレミアムガス仕様となり出力アップ、また3リッターモデルはすべて輸出仕様車と同じワイドボディとなった。

 これに合わせて全日本ツーリングカー選手権グループAのホモロゲーション取得用モデルとして3リッターターボ車「ターボA」が500台限定で販売した。70型系スープラの累計販売台数は9万0385台だった。

■80型系スープラで一度、絶版車になるも……

 目まぐるしく改良と変更を繰り返した70型系スープラは、1993年5月にモデルチェンジする。新型は先代に比べて全長4520mmと短く、全幅1810mmと広く、ホイールベースは2550mmとさらに短縮され本格スポーツであることを主張した。フロントにはアクティブスポイラーを、リアには大型スポイラーを備えCd値0.30を誇ったスポーツモデルだ。

 搭載エンジンは、2JZ-GTE型3リッター直列6気筒DOHCツインターボとNAの2種。ターボの出力は280ps/5600rpm、トルクは44.0kg.m/3600rpm。トランスミッションはゲトラーク社と共同開発した6速MTと新開発電子制御4速ATだった。

 1994年8月にターボ車に17インチタイヤと大容量ブレーキをオプション設定。96年には6速MTをNAエンジン車にも採用した。

 しかし、90年代後半から世界的にスポーツカー市場が冷え込み、同時に排気ガス規制対応策にかかるコストが見合わないとの理由で、各社ともスポーツモデルから撤退する。スープラも例外ではなく、2002年夏を以て生産を終えた。

 そして17年ぶりにリアルスポーツとして2019年、5代目となる新型「トヨタ・スープラ」が復活。日本デビューを果たした。BMWと提携するという新たな試みから生まれた新型は、2社共同でプラットフォームを開発し、BMWはオープンスポーツの新型「Z4」をつくり上げ、トヨタは「直列6気筒FR」をDNAとするスポーツクーペ新型「スープラ」を送り出したのである。

[写真:Toyota Supra GR]