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パジェロの大ヒットで蓄えた資金で、ダイヤモンドという名の4ドアハードトップ

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三菱自動車は、80年代のクロカン四駆「パジェロ」の大ヒットで資金力が大きくアップし、1989年東京モーターショーで、「ギャランΣ(シグマ)/エテルナΣ」の実質的な後継モデルとなる初代「ディアマンテ」を公開。バブル景気絶頂期の翌年販売を開始した。車格がアップし、プレミアムモデルとしての性格が鮮明になり、ギミックを含めて数々のハイテクメカニズムを満載した3ナンバーサルーンだった。

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 1990年5月、三菱自が潤沢な資金を投じて開発・発表した次世代アッパーミドルクラスを担う新型車は、三菱グループの社章である「スリーダイヤ」そのままの、スペイン語でダイヤモンドを意味するモデル名でデビューした。

■3ナンバーサイズの専用ボディはピラードHT

 ボディタイプは、まず4ドア・ピラードハードトップだけでスタートした。逆スラントの彫りの深いフロントノーズを持つボディサイズは、日産シーマの成功を睨んで、それまでのギャランΣシリーズの5ナンバー枠にとらわれない専用の3ナンバーボディとなり、その全長4,740mm×全幅1,775mm×全高1,420mm、ホイールベース2,720mmと、当時のメルセデスEクラスに匹敵する車両サイズを得た。

 そのエクステリアデザインもサイドプロテクションモールから下部に、まるでメルセデスのサッコ・プレートを貼ったかのような造形を与え、カタログには“風格”や“威厳”という言葉が踊っていた。そのディアマンテは発売されると、当初三菱自が目論んだ3,500台/月の目標を軽く上回るヒットとなった。

 搭載したパワーユニットは、V型6気筒サイクロンDOHC24バルブで電子制御燃料噴射ECiをマルチで装備したボア×ストローク91.1mm×76.0mm・2972cc圧縮比10.0から210ps/6000rpm、27.0kg.m/3000rpmの出力&トルクを発生した6G72型を筆頭に、新開発の6G73型2497cc・DOHCの175ps仕様、6G71型・1998cc・SOHCの125ps仕様の3種類をラインアップした。

 駆動方式は3ナンバーサルーンでは当時まだ稀なフロント横置きエンジンのFWDを採用し、同時にギャランVR-4などで搭載していたビスカスカップリング+センターデフ方式の4輪駆動車もラインアップされた。トランスミッションはホールドモード付き4速オートマティックが標準で、一部5段マニュアルの設定も残された。

 サスペンションはフロントがマクファーソンストラット式独立、リアはFWD車がマルチリンク式独立、4WD車がダブルウィッシュボーン式独立である。

■複雑な電子制御システム満載

 これにアクティブECS(電子制御サスペンション)、車速・操舵力感応型4WS(四輪操舵システム)、ABSなどを備え、これらを統合した電子制御アクティブフットワークシステム(FWD車はアクティブトゥー、4WD車はアクティブフォーと呼称)とされた。この統合システムにはトラクションコントロールのトレース&スリップコントロールシステムが含まれた非常に高度に凝った電子制御サスペンションだった。

 この電子制御された4WDと複雑なサスペンションシステムは、1990年秋に登場するスポーツモデル「三菱GTO」にも搭載され、賛否を招くことになる。その詳細は稿を改めたい。

 ディアマンテは、インテリアにも電子制御機器が満載だった。MICS(三菱インテリジェントコクピットシステム)、MMCS(三菱マルチコミュニケーションシステム)など、いったい何に使うのかまごつくほどの複雑なアシスト機能・機器が詰まっていた。

 東京・三田の三菱自本社で最上級グレードのディアマンテ4WD・30R-SE(398,6万円)の広報車を初めて借り受けた際、本革電動シートのフィッティングやドアミラーの調整は何とかなったが、ルームミラーまでもが電動調節式となっており、調整スイッチの設置場所が薄暗い地下駐車場では発見しにくく、出発にずいぶん時間を要した記憶がある。訊けば、それらは三菱インテリジェントコクピットシステムMICSで統合記憶され、個人個人が適切にメモリーに記憶させ残してしておけば瞬時に調整が終わるという。

■4ドアセダン版「シグマ」追加

 デビューした1990年の夏には既に小改良が行なわれバリエーションが拡大。その後も、10月には側面衝突からキャビンを保護するサイドドアビームを全車に追加装備。11月には速度感応型稼働リアスポイラー装着車を設定し、その年のカー・オブ・ザ・イヤー(COTY)を獲得した。

 その10月、兄弟車として「三菱シグマ」が復活・デビューする。ディアマンテの4ドアハードトップをウインドウサッシュのある4ドアセダンとしたモデルで、全長・全幅は共通だが、全高のみ25mm高めている。そのためドライバーも含めて乗員頭上空間にはゆとりが生まれ、ごく真っ当なセダンボディのシグマの方が、居住性は優れていた。

 外観上はシグマのサイドビューが6ライトとなり、ヘッドランプ、リアランプの形状にやや違い・差異を持たせた。エンジンラインアップや駆動方式、グレード構成はディアマンテに準ずる。

 ディアマンテに話しを戻す。1991年10月、ディアマンテにもようやく運転席SRSエアバッグが備わる。1992年1月には累計生産10万台達成記念限定車を発売するに至った。1992年10月にヘッドランプなど外観意匠に小変更を加え、2リッターエンジンを6A71型の145psに換装した。

 1993年3月から豪州三菱自製のディアマンテ・ワゴンの輸入を開始、国内で販売される。

「マグナワゴン」の後継モデルとして、SOHC12バルブの2972cc・6G72型、最高出力165ps、最大トルク25.6kg.mを搭載。ボディサイズは全長4,785mm×全幅1,780mm×全高1,515mmで4ドアハードトップより若干大きく、リアサスペンションには5リンク式が採用された。

■その後の三菱自は……?

 初代ディアマンテは、トヨタ・マークⅡ連合などに先駆けてハイソカーブームを継ぐ、3ナンバーボディのパーソナルサルーンとしてバブル絶頂期にピタリと照準が合ったことで人気モデルとなった。三菱自としてはパジェロに次ぐ高額車のヒットだった。1995年1月に2代目に移行するも、初代のヒットには遠く及ばないモデルと低迷する。

 その後の三菱自は、2000年のリコール隠しや、その後の不正燃費発表など不祥事を繰り返したが、そのたびに大財閥・三菱グループや独ダイムラーの支援を受けて乗り越えた。が、業績回復には至らず、三菱自の大型車部門「ふそう」だけはダイムラー傘下となり、残された乗用車三菱の長期低落が続く。

 日産自動車の参加に入った後も復活の兆しは見えず、直近2020年11月に公開した2021年3月期の連結決算予想では、売上高は前期比35%減の1兆4,800億円、営業損益は1,400億円の赤字(前期は127億円の黒字)、純利益は3,600億円の赤字(前期258億円の赤字)。世界販売は38%減の83万8,000台の見込みだ。

 決算予想を発表したその日、三菱自はディアマンテの潤沢な開発資金を稼いだクロカン四駆・パジェロの完成車工場で、子会社でもあった「パジェロ製造株式会社」の閉鎖も発表した。