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「CITYはニュースに溢れてる!」のキャッチコピーと共に登場したホンダのベーシック

このキャッチコピーとともに1981年10月に登場した初代ホンダ・シティは、ほんとうに溢れるほどの話題を積んだクルマだった。S500から始まったホンダの乗用車は、N360やシビックなど、その登場した時代ごとに業界に次々と新風を吹き込んできた。

ホンダというメーカーは時に、もの凄くユニークな発想で新しい製品(クルマ)を生み出す。ほかの自動車会社の開発陣が気付かなかったポイントにフォーカスし、個性的なクルマを発表するのだ。先に記したS500は、モーターサイクルメーカーだったホンダが、乗用車製造事業に参入するための新商品として開発したオープンスポーツだ。ふつうの会社だったら初めての商品(四輪乗用車)に、2座スポーツは選択肢となり得ず、堅実なセダンとなりそうだが、プロトタイプのS360から発展した“Sシリーズ”がホンダ四輪車の尖兵となったのだった。

■本格乗用車市場にN360、そしてシビックで挑む

 その後のホンダは、1966年秋の第13回 東京モーターショーで本格的な四輪車として軽自動車の「N360」を発表した。この“N”はまったくの新設計であり、ホンダ初のモノコックボディ構造とし、タイヤをボディ四隅に配した台形フォルムの2ボックス車だった。それまでの軽自動車に付きまとっていた、ユーザーに強いていた「我慢と妥協」をいかに打破するかが、新参のホンダにとって重要な開発ポイントだった。

 翌1967年3月にN360が発売されると注文が殺到する。発売3カ月で、それまで軽自動車ベストセラーだったスバル360から、いとも簡単にトップセールスの座を奪ってしまったのだった。

 その次のホンダの“矢”は、1972年のシビックだった。シビックはそれまでの国産小型車に無かった前輪駆動の2BOX車としてヒットする。しかし、そのシビックも10年という歳月のなかでモデルチェンジし、ベーシックカーとは言えないサイズと価格に成長していた。そこでホンダは、初代シビックのコンセプトを再現すべく、完全な新型車を発表する。それがニュースに溢れた新型シティだった。

■コンパクトな次世代ベーシック「CITY」

 ホンダ・シティが新鮮だったのは、そのパッケージングだ。2220mmの短いホイールベース、全長僅かに3280mm。しかし、車幅は当時のシビックと同等の1570mmで、全高が1470mmと異例に高い。ホンダがトールボーイ・スタイルと呼んだその高さのあるボディは、そのコンパクトな容姿から想像できないほど広い室内を備えていた。

 極端に短く思い切りスラントしたノーズ、大きなキャビン、そして背の高さが特徴的なスタイリングは簡素でかつ新鮮に見えた。開発のテーマは、小さなボディにできるだけ広い室内空間をつくり出し、必要にして十分な動力性能と省燃費の両立だった。

メカニズムをみると、搭載する新開発のCVCCⅡ方式の直列4気筒SOHCエンジンは、CONBAX(コンバックス/Compact Blazing Combustion Axion/高密度速炎燃焼原理)エンジンと称した。これは副燃焼室、EGR、酸化触媒などを組みあわせ、負荷に応じて空燃費とEGRを変化させ、10:1の高い圧縮比から大パワーとレスポンスの良さが得られるユニットだとされた。

 ボア×ストローク66×99mmの超ロングストローク型1.2リッターエンジンのパワー&トルクは、最もスポーティな「R」グレード搭載版で最高出力67ps/5500rpm、最大トルク10.0kg.m/3500rpmを絞り出していた。組み合わせるトランスミッションは5速マニュアルとオーバードライブ付ホンダマチック(AT)で、燃費はスポーティな5MTの「R」で10モード燃費18.0km/リッターとされていた。車重665kgのRグレードだけはファイナルギアが低められ、シャープな加速力と抜群の高レスポンスを得ていた。

サスペンションは、4輪マクファーソンストラット独立式でホンダとして手慣れた機構でまとめていたが、リア側はコイルスプリングとストラットを分離した独特な構造とした。これによってバネレートの設定自由度が上がり、サスの室内への張り出しを抑制できたという。これを利して「R」グレードでは減衰力を高めたダンパーと堅いバネを組み合わせたスポーティなサスチューンとした。ステアリングはラック&ピニオン式でロック・トゥ・ロック3,4回転(Rグレード)だった。

豊富に揃えたアクセサリーもホンダらしい遊びに溢れていた。なかでも注目オプションは「モトコンポ」と呼んだ50ccの折りたたみ式の小さなモーターサイクル。折り畳んでシティのラゲッジルームにすっぽりと収納できた。

 ホンダ・シティは英国のスカ・バンド「マッドネス」のTVコマーシャルとともに話題となり、ニュースをばらまきながら、月販1万5000台のヒット車となる。

 そして、1年後の1982年9月にホンダ車初のターボチャージド・エンジン搭載車AA型「シティ・ターボ」を追加する。ターボはIHI製でホンダ独自の電子制御燃料噴射装置「PGM-FI」を組み合わせ、1.2リッターSOHCエンジンとしては破格、ノーマル比で約50%アップとなる100ps/5500romの大出力、最大トルク15.0kg.m/3000rpmを発揮する過激なエンジンだった。

 足回りは固められ、ブレーキはフロントがベンチレーテッドに進化した。ボンネットのパワーバルジ、非対称フロントグリル、太いサイドモールに赤いライン、エアダム、フォグランプなどでドレスアップしていた。

 1982年11月、屋根をさらに10cm高くした通称「マンハッタンルーフ」と呼ばれた「Rハイルーフ」が登場。翌年4月にはこれに電動サンルーフ付きが加わる。このように次々にニュースとともにラインアップを拡大したシティ。そして、極めつけのモデルが登場する。

 1983年10月にターボ車が「シティ・ターボⅡ」、通称“ブルドッグ”に進化。この時からシティ全車がフェンダーミラーからドアミラー仕様に変更される。

 ターボⅡは前後にブリスターフェンダーを装着し、全幅を55mm拡大した1625mmの迫力ボディを得て過激で迫力満点のスタイリングを纏って登場。

 大型化したパワーバルジの下に収まる1.2リッター・ターボエンジンにはインタークーラーが備わり110ps/5500rpm、16.3kg.m/3000rpmにパワー&トルクアップ。しかも、4000rom以下でアクセルを全開にすると10秒間だけターボ過給圧を10%高める「スクランブル・ブースト機構」まで付いた過激なユニットとなった。

 このパワーアップに合わせて足回りは固められトレッドを拡大、シティとして初めて60%扁平タイヤ185/60R13を履く。このターボⅡは、0-400m加速を15秒台で走りきる、1.2リッター車としてはとてつもない加速性能を発揮した。

 いっぽう、1984年7月に追加されたのが、お洒落なカブリオレだ。ホンダ車としてはS800以来のオープンモデルで、ブリスターフェンダーのワイドボディはターボⅡから譲り受けたが、エンジンは「R」を流用した67ps自然吸気エンジンとした。ピニンファリーナがオープン化を担当したこともニュースとなった。明るい12色のボディカラーも、これまたニュースとなり、初代シティは、とにかくニュースに溢れていたのである。