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第6章 ホンダ、米国市場を目指す小型車アコード誕生

 シビックはデビューして4年経ったが、依然市場は好意的に受け止め、好調なセールスを記録していた。世界中の自動車メーカーに先駆けて強烈な排気ガス規制値を掲げたマスキー法をクリアしたCVCCエンジンは世の中の喝采を浴びていた。

引用:ホンダ 名車図鑑

 そんな余勢を駈るかのように、1976年5月、ホンダはシビックの上位の新型車を発表する。「アコード」と名付けられた新型だ。この小型車も、当時のホンダエンジニアたちが、“自分たちが(シビックを卒業したら、次ぎに)乗りたいクルマ”をカタチにした製品だったように思う。

 10代後半に、N360でドライビングを習得し、20歳代はシビックで遊びに出かけ、独身時代を謳歌した彼らも、結婚して子どもが生まれる世代になっていた。そこで、もう少し室内が広く、多少落ち着きが感じられるクルマが欲しい年代になったのだ。ただし、国産の競合車と思われるライバルよりも若々しく、お洒落なクルマを夢想していた筈だ。

 デビューしたアコードは、シビックが登場したとき程の鮮烈な印象は確かになかったが、出来上がったクルマは、それまでの国産車にはない、いかにもホンダらしさに溢れ、新しさを感じさせる溌剌とした新型車に映った。

 シビック4ドア版よりも100mm長いホイールベースのうえに載るボディは、長さと幅はシビックよりも長く広い2ドア・2BOXのハッチバック車だ。シビックがデビューした時のような、独立したトランクスペースを持ったモデルの用意は無い。日本人もリアゲートの利便性と後席のアレンジ次第で荷室が広がるハッチバック車に魅力を感じるような時代感性を持ち始めていたとの判断だろう。

 そのアコードHBのボディサイズは全長×全幅×全高4125×1620×1340mm、ホイールベース2380mm。当時の国産車としては、長さの割に車幅がかなり広い独特のディメンションだった。車両重量は835kg~875kgで、シビック4ドア1500よりもおよそ100kg重たい。

 搭載エンジンはシビック1500のエンジンのストロークを伸ばし1.6リッターに拡大したボア×ストローク74.0×93.0mmの1599cc・直列4気筒SOHCで、CVCC方式を採用した。このエンジンはもちろん、51年排ガス規制をクリアしていた。最高出力は82ps/5300rpm、最大トルクが12.3kg.m/3000rpmで、トランスミッションはフロアシフトの4速マニュアルが標準だが、5速マニュアルのほか、2ペダルの無段変速機・ホンダマチックも用意された。

 サスペンションはシビックから移植した4輪マクファーソンストラットの独立で、乗り心地はシビックを圧倒していた。さらにアコードの上級グレードには車速感応型のパワーステアリングが備わっていた。2ペダルとパワーステの組み合わせは、当時の国産車では、トヨタ・日産の最上級車、クラウンやセドリックしか望み得ない装備だった時代である。これにエアコンが備わっていれば、最高級車と呼べる内容だった。

 明るくルーミーで極めて静粛性の高い室内、前述のような上級セダンに匹敵する快適装備&イージードライブ性能などで、アコードは2リッター6気筒エンジン搭載の最上級クラス並みの高級感を備えたクルマとして認知された。しかし、市場ではアコードのハードとしての質の高さを理解しても、2ドアハッチバックという欧州車然としたスタイル&コンセプトが受け容れられないユーザーも未だ少なくなかった。成熟したマーケットになったとは云え、これはまだまだ事実だった。利便性が高くユーティリティに優れたハッチバック車は、まだ小型車のカタチだったのだ。

 そこでホンダは2年後の1977年10月、アコード・サルーンという3BOXの4ドアセダンを追加する。4ドア化にともない全長を4345mmにストレッチし、リアエンドに独立したトランクを設けたモデルだ。そして翌年、53年排ガス規制をクリアするためという名目でエンジン排気量を1.8リッターに拡大。パワーはトランスミッションによってチューンが細かく設定され、MT車が90ps、AT車が85psとなった。

引用:ホンダ 名車図鑑 アコード サルーン

 1981年にアコードは2代目にバトンをわたす。正常進化といえばそのとおりだが、ホンダとしてはコンサバティブなモデルチェンジだった。進化といえばATがホンダマチックから普通のトルコン式4速ATに、環境対応エンジンCVCCから他社と同じ三元触媒でエミッションクリアする方式に変わったことか。

 大きな変革を見せるのは1985年に登場する3代目である。登場した新型アコードは斬新なスタイルと凝ったメカニズムを満載して登場した。エンジンは1.8リッターと2.0リッターの本格的な4バルブDOHCを筆頭にしたラインアップで、最上級グレードの2.0Siに搭載し、後に可変吸気システムを備える2リッターDOHC16バルブエンジンは160ps/6000rpm、19.0kg.m/3500rpmを発生した。

 ボディは2種、4ドアセダンと2ドアHBで、どちらもファミリーカーでは稀なリトラクタブルヘッドライトを装備して登場した。また、HBモデルは「エアロデッキ」という名が与えられ、現在ならシューティングブレークと呼ばれそうなスポーティなエクステリアのスペシャリティなモデルだった。ボディサイズはエアロデッキが全長×全幅×全高4355×1695×1335mm、セダンが4535×1695×1355mm、ホイールベースはともに2600mmとほぼCセグメントに成長した。

 支える足回りもFWDのファミリーカーとしては、世界初の全輪ダブルウイッシュボーン式独立という凝ったサスペンションを採用。新型アコードにしなやかな乗り味を提供した。この3代目アコードは大ヒットする。

 ホンダ・アコードは、初代から北米を見据えたモデルだった。初代から、すでに相当数のアコードが対米輸出され、1982年に初めて米国オハイオ州にホンダ工場を建設して生産した最初のクルマもアコード(2代目)だった。3代目は米国生産したアコード・クーペが逆輸入され、日本でMade by US Hondaとして販売。同じように4代目にラインアップしたステーションワゴンたる、アコード・ワゴンも米国生産車で、やはり逆輸入され日本でも大ヒットした人気モデルとなる。

 そしていま、アコードと米国は切っても切れない関係で結ばれている。とくに3代目以降、安全基準や環境性能など、アメリカ規準を念頭に置いて開発された。もちろんスタイリングや車格感なども米国市場の嗜好を色濃く反映するようになる。1990年代アコードは、米国マーケットでフォード・トーラス、トヨタ・カムリと年間販売ベストセールスを競う。そして以降、アコードは、日本や米国以外の海外工場でも生産されるホンダにとってのグローバルな戦略車に成長する。