Hundreds Cars

ほぼ10年におよぶ準備・開発期間を経てデビューしたホンダのピュアスポーツ

1980年代、ホンダでは次世代乗用車を模索する多様なプロジェクトが進行していた。そのなかにミッドシップスポーツがあった。試作記号「NS-X」だ。プロダクションモデルで「NSX」と名称を改め登場したスポーツカーは、操縦の容易さ、コントローラブルなこと、高い限界性能など、それまでのエキゾティックスポーツの概念を塗り替えたクルマだった。

 1989年2月16日、米シカゴで開催されたシカゴ・オートショーでホンダは、「NS-X」と名付けたミッドシップスポーツのプロトタイプを世界初公開した。実はその1週前に、新型車の事前説明会を専門誌などに向けて行なうホンダの東京・青山本社会議室に、NS-X試作車を展示すると通知され、寒風が吹くなか出かけた覚えがある。

 見た瞬間、「これは本物のスポーツカーだ」と思った。ショーモデルにありがちな張りぼてのコンセプトカーでは無く、極めて完成度が高く、プロダクションモデルと思える仕上がりだったからだ。運転席を含むインテリアも完璧だった。ただし、エンジンルームは見せて貰えなかった。運転席の後ろにミッドシップ搭載となる新開発エンジンの情報は、まだ秘密だったのである。

■オールアルミ・コンセプト

 プロトタイプのボディサイズは全長4315mm×全幅1800mm×全高1170mm、ホイールベース2500mmだ。そして、そのボディはモノコックの骨格からボディのアウターパネルまですべてがアルミニウム製の世界初のボディ&シャシーとされた。これはNS-X開発当初からのコンセプト「軽量ミッドシップスポーツ」で、車両重量を1300kg以下に抑えることが目標とされ、その実現のために必然の選択だった。

 オールアルミニウム・コンセプトは徹底しており、ボディモノコックのほか、後述するV型6気筒エンジン、4輪ダブルウィッシュボーンのサスペンションアームとその支持部材、ステアリングホイール、そしてシート内部の骨格やそれを固定し支えるシートレールまで全身アルミ製とし、軽量化が徹底された。この結果、鋼板ボディ&シャシー、サスペンション部材を採用した場合に較べて、約200kgの重量減を達成したという。

 開発にあたった当時、世界でもっとも過酷と云われるサーキット、ニュルブルクリンクで徹底した走行テストを実施した。普通ニュルでテストを行なう場合、メーカーはテスト車両のみを持ち込み走り込むというものが主流だが、ホンダはサーキットに近いミューレンバッハ村にテスト基地を建設し8カ月間、走行テストを繰り返し行なうという姿勢で開発に臨んだという。その結果、世界初のオールアルミニウム製の軽量高剛性ボディとなった。

 全身の軽量化は、発進&中間加速などの動力性能に有利であることは自明だが、ヨー&ピッチング、ロールなど挙動変化を小さくし、ミッドシップレイアウトによる機敏な回頭性を大きくアップさせることにもつながる。

 アルミボディの製作にはスチール製に較べて溶接工程で、3倍以上の電力を要するため、ホンダは栃木研究所の隣に、専用発電所を持つNSX専用の製造ラインを持つ工場をつくった。生産能力は25台/日、国内向けと輸出仕様の合計で年間6000台という規模の少量生産モデルとなった。

NSX 1st 1

 1990年の春、米国発売され秋には日本国内でも販売が開始される。5速MT車で800.3万円、4速AT車で860.3万円という当時の国産車として最高値、破格に高価だったにも拘わらず、ディーラーのホンダ・ベルノ店に注文が殺到した。納車5年待ちとも云われ、米国から左ハンドル車のアキュラNSXを平行逆輸入して1000万円以上で販売する業者も現れた。NSXのマーケットはまさに“バブル景気”を呈していた。

 ボディサイズはプロトタイプと若干異なっており、長く広くなったボディは、全長4430mm×全幅1810mm×全高1170mm、ホイールベースもやや長く2530mmとなった。ドライバーズシートの着座感は申し分なく、3つのペダルにごく自然に足が伸びる。

 前方視界は低いフェンダーのおかげで、ワイドでクリアだった。また、欧州のスーパースポーツにありがちな斜め後方視界もホンダのスペシャリティクーペ、プレリュードと較べても遜色ないほど良好だった。

■V6DOHC+VTECエンジンは280ps

 リヤミッドシップに横置き搭載するパワーユニットはボア×ストローク90.0×78.0mmのショートストローク型2977cc、バンク角90度のC30A型と呼ぶV型6気筒DOHC24バルブエンジンで、8000rpmまでストレスなく回り、NAエンジンながら10.2の圧縮比と新開発された可変バルブタイミング+2ステージ可変バルブリフト機構「VTEC」を得て、自主規制値ギリギリの最高出力280ps/7300rpm(AT車は265ps/6800rpm)、最大トルク30.0kg.m/5400rpmを発揮した。レブリミッターは8200rpm(AT車7500rpm)で燃料カットを作動させる。

 このエンジンそのものもブロックはもちろん、シリンダーヘッドなどはオールアルミで、一部ヘッドカバーなどにマグネシウムを用いて軽量化を図った。

 このエンジン、1500rpm辺りから十分なトルクを発生し、スポーツユニットにありがちなタウンユースでの扱いにくさは微塵もなかった。しかも、どこから踏んでも豊かなトルクが得られるフラットなトルク特性で、5000rpmを超えると、さらに鋭さを増してエキゾースト音が高音に変わり8000rpmまで伸びてゆく。

 これらを支えるサスペンションは前述のとおり、前後共オールアルミコンセプトのインホイールタイプのダブルウィッシュボーン式独立だ。サスアームやそれを取りつけるサブフレームなどすべてがコンセプトに基づいてオールアルミ製である。

 トランスミッションは5速MTと4速ATを用意した。そのトランスミッションには高速直進性や操縦安定性に効果的なLSDが組み合わされた。唯一認可された装着タイヤはヨコハマ・アドバンA002。サイズは前205/50ZR15、後225/50ZR16だ。

 これらを総合的に組み込んで完成した量産NSXは、1350kgの車体を最高時速250km/h(国内仕様は180km/hでリミッター作動)、0-400m加速14.0秒へと導いた。

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■毎年進化し、タイプR、タイプT、タイプSなどを追加

 1992年にはホンダの硬派スポーツグレードである「Type R」(タイプR)を追加。このモデルは、軽く仕上げられていたNSXをさらに軽量化したクルマで、1230kgまでのダイエットに成功していた。

 エンジンフードをアルミメッシュ化、アンダーコートの廃止、エンケイ製鍛造ホイールへの換装、内装でも減量を促すため、レカロ社と共同開発したカーボンアラミド・コンポジット製の本格レーシングバケットシート、軽量化したMOMO製ステアリングホイール、チタン削り出しシフトノブなど軽量化パーツを装備した。

 1995年、ステアリングにシフトスイッチが付いたドライブバイワイヤー方式のATへの換装を含むマイナーチェンジと、ルーフをデチャッタブルトップとした「タイプT」の追加。

 1997年には比較的大規模な改良が加えられ、エンジンの3.2リッター化、およびブレーキの16インチ化、マニュアルミッションの6速化と進化する。そして、「タイプS」の追加が実施された。

 また、エアコンやオーディオなどの装備を省略して大幅な軽量化を果たし、ハードセッティングサスペンションを採用したサーキット専用マシン「タイプS Zero」も追加された。

 2001年にはエクステリアにも手が入る。80年代ホンダスポーツの象徴とも云えるリトラクタブルヘッドライトから空力特性を考慮した固定式ディスチャージランプに変わる。そして2002年、第2世代の「タイプR」が誕生する。

 デビューから15年の長いモデルライフのNSXは2005年、惜しまれつつ生産を終える。15年もの間、時代と共にアップデートを行ない、長らく日本のスポーツカーを牽引してきたのは、やはりその基本性能。基礎体力構造の設計が間違っていなかったことの証左である。

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