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日本のサーキット変遷史Vo.3~オートポリス編~

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九州エリア唯一の公認サーキットがオートポリスだ。大分県の日田市上津江町に位置し、ゴルフ場の建設予定地だった場所に1990年オープン。再三に渡る経営危機と、災害を乗り越えて阿蘇カルデラの北部でモータースポーツファンを熱狂の渦に巻き込んでいる。今回は、そんなオートポリスの歴史を辿ってみたい。

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バブル期、F1招致に賭けた夢

オートポリスがオープンした1990年は、日本がバブル経済に最も湧いた時期である。当時のオーナーであった株式会社日本オートポリスの社長・鶴巻智徳もまた、バブル経済に大きく影響を受けた一人である。

サーキットのオープンを翌年に控えた1989年11月30に開催されたオークションにて、パプロ・ピカソによる初期の傑作「ピエレットの婚礼」を73億8,000万円で落札。

何故、鶴巻氏がピエレットの婚礼を巨額の投資をしてまで落札したのだろうか。その答えは、オートポリスの敷地内に建設されるオートポリスアートミュージアムに飾るためだ。

オートポリス計画に投じられた費用は、230億円以上とされている。1989年に建設を開始し、翌年1990年には第一期工事が完了。その時開かれたパーティにも、イタリアのベネトン社会長だったルチアーノ・ベネトンや元運輸大臣・塩川正十郎といったVIPの姿があった。

オートポリスは、本来国内にF1の誘致をするために作られたサーキットである。当時の鶴巻氏には、その未来が鮮明に描けていたに違いない。

そして、それは実現することになる。1990~1991年に掛けて、オートポリスはネルソン・ピケ擁するベネトンのスポンサーとなった。さらに、1991年には全日本F3000選手権を開催。同10月には本サーキット初となるFIA公認の世界選手権・スポーツカー世界選手権を行い、デビュー間もなかった「赤い皇帝」ミハエル・シューマッハも出場。1位で表彰台を飾っている。

バブルの終わり、訪れた経営危機

当時のサーキット場には見られないような充実した施設を備えていたオートポリスであったが、1992年に日本のバブル経済崩壊と共に鶴巻氏の日本オートポリスは破産。

併設していたホテルや美術館は閉鎖され、当然のように収蔵品は差し押さえられることとなった。この時の負債総額は700億円にも昇るといわれている。親会社であった日本トライストに至っては1,200億円の負債を背負っていたという。かくして、ピカソの「ピエレットの婚礼」も借金の「カタ」として債権者の手に渡ることとなった。

ちなみにこの絵、今の価値にして150億円とも250億円とも言われているものの、現在所在不明となっている。どこかの銀行の金庫に預けられているらしいのだが、真相は闇の中だ。

倒産した日本オートポリスに代わり、1993年からは債権者であったゼネコン・ハザマが「大分阿蘇レーシングパーク」として運営を開始。

しかしながら、サーキットの場所が山間部の奥地であったため、元々のアクセスが悪く客足は伸びない。再び、サーキットは経営危機の窮地に立たされるのである。

経営危機からの脱出と、震災復興

そんなサーキット場を、ハザマは1996年に手放した。無償譲渡の相手は上津江村だ。その後はボランティアの手を借りつつ運営を再開。この時にサーキットの名称もオートポリスに戻された。

しかしながら、まだオートポリスは大きなレースを開催する体力はなく、小規模な走行会やアマチュアレースを開催するに留まっていた。

そんな中、1999年遂に全日本GT選手権を初めて開催。雪が舞う中、5万人のギャラリーが詰めかける。さらに、2002年には全日本ロードレース選手権、2006年にはフォーミュラ・ニッポンを続けて開催。オートポリスは、活気を再び取り戻していったのである。

そして、オートポリスの債権を決定付ける出来事が2005年に起こる。川崎重工が買収を発表したのだ。現在に至るまでそれは続いており、川崎重工が100%出資している株式会社カワサキモータースジャパンがオートポリスの運営を行っている。

2輪車用のテストコースとしても使用されつつ、2011年にはSUPER GTが復活。フォーミュラ・ニッポンが全日本ロードレース選手権と併せて開催され、2012年からはスーパー耐久も行うなど、かつてないほどの盛り上がりを見せた。

順調に思えたオートポリスの運営だったが、思わぬ天災が降りかかる。2016年に発生した熊本地震により、オートポリスも被災してしまったのだ。

コースやパドック・ビルなどに亀裂が発生し、メインスタンドは地盤が沈下。とてもレースが開催できる状態ではなく、やむなく施設の閉鎖を決定。同年5月に開催を予定していたSUPER GTや6月の全日本ロードレース選手権といったビッグレースの中止も発表された。

だが、関係者の尽力により同年の10月には営業を再開。翌月11月にはスーパー耐久の第6戦が再オープンの初戦となった。

※ ※ ※

現在でもSUPER GTやスーパー耐久、2輪のSUPERBIKE RACEなど、多くのレースで観客を集めるオートポリス。バブルの狂乱に翻弄され、災害で被害を受けながらもその度に立ち上がってきた不屈のサーキットだ。

もし九州に立ち寄るようなことがあれば、オートポリスに立ち寄って、会場の雰囲気を直に感じてみてほしい。

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